童謡「赤とんぼ」の歌詞について(「追われて」と「美味し」の勘違い)
前回の記事と関連した童謡の話題。
童謡「赤とんぼ」に、「おわれてみたのはいつの日か」という歌詞がある。
私の知人に、この「おわれて」を「追われて」のことだと勘違いしていた男がいた。
彼は小さい頃、やんちゃなお子様だったので、悪さをして、しょっちゅう大人たちや敵対している少年達に追われていた。
そういう思い出の持ち主である。
当然、、赤とんぼが飛び交うなかを追われた記憶も鮮明にある。
彼は小さい頃、やんちゃなお子様だったので、悪さをして、しょっちゅう大人たちや敵対している少年達に追われていた。
そういう思い出の持ち主である。
当然、、赤とんぼが飛び交うなかを追われた記憶も鮮明にある。
そんな頃、彼はいつも必死だった。
だから、彼が自身の少年時代に抱く郷愁は、同年代の一般の大人たちよりもかなり濃い。
彼は、「赤とんぼ」の童謡に、自身の少年時代を重ね合わせ、悪さをして追われた日々を懐かしんだ。
もう、遠い昔の話。
「追われて見たのはいつの日か」
この童謡を聴くと、彼の脳裏に、必死に生きた少年時代のひとコマひとコマがよみがえった。
「赤とんぼ」は、彼の少年時代のテーマソングだった。
やがて彼は故郷の村を離れて、都会で働くようになった。
街の片隅で、彼がふと耳にした歌は、学校唱歌である「故郷(ふるさと)」。
「うさぎ追いし かの山 小ぶな釣りし かの川」という歌詞を聴いて愕然とした。
彼には「うさぎ追いし」が「うさぎ美味し」と聞こえた。
釣ったフナは甘露煮にして食べたことがあったが、ウサギは食べたことが無かった。
いくらやんちゃな少年でも、あの可愛いウサギを食べようと思ったことは一度も無かった。
だが、この望郷の歌は、ウサギを食べた日々を懐かしむように「ウサギが美味しい」と聞こえる。
純朴な山村出身者が「うさぎ美味し」と懐古調に歌っているイメージに、彼は羞恥した。
以来、この歌を聴くたびに、山村出身者であることにコンプレックスを覚えるようになった。
都会育ちの女の子の前で「ウサギが美味しい」なんて口がさけても言えない。
やんちゃできかん坊な彼の性格は、社会に出てから、かなり直った。
だが、そそっかしくて勘違いしやすい性格は、今もまだ続いている。
「夢は今も巡りて 忘れ難き故郷」
「うさぎ追いし かの山 小ぶな釣りし かの川」という歌詞を聴いて愕然とした。
彼には「うさぎ追いし」が「うさぎ美味し」と聞こえた。
釣ったフナは甘露煮にして食べたことがあったが、ウサギは食べたことが無かった。
いくらやんちゃな少年でも、あの可愛いウサギを食べようと思ったことは一度も無かった。
だが、この望郷の歌は、ウサギを食べた日々を懐かしむように「ウサギが美味しい」と聞こえる。
純朴な山村出身者が「うさぎ美味し」と懐古調に歌っているイメージに、彼は羞恥した。
以来、この歌を聴くたびに、山村出身者であることにコンプレックスを覚えるようになった。
都会育ちの女の子の前で「ウサギが美味しい」なんて口がさけても言えない。
やんちゃできかん坊な彼の性格は、社会に出てから、かなり直った。
だが、そそっかしくて勘違いしやすい性格は、今もまだ続いている。
「夢は今も巡りて 忘れ難き故郷」