雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

縄文遺跡のまわりに生えていた大柄な植物、オオウバユリの蕾

(小牧野遺跡に向かう林道の脇に巨大な植物が生えている。)


青森市の小牧野遺跡は、秋田県大湯の「環状列石」同様、舌状台地の上にある。
遺跡のある場所は、標高にして145メートルぐらい。
その台地上の林道脇でオオウバユリを見つけた。
小牧野遺跡一帯にオオウバユリの群生が点在している。

写真で見たことはあるが、実物はこれが初めて。
しかも、雑誌などの写真で見るオオウバユリは10個~20個の花が開花したもの。
蕾状態の姿は初めてお目にかかる。
蕾の形が、お寺でよく見かける擬宝珠(ぎぼうし)に似ている。
信心深い方なら、思わず手を合わせたくなるような雰囲気の立姿である。


(まだ蕾の集合状態。擬宝珠(ぎぼうし)に似ている。)


オオウバユリは、文字通りウバユリの大型のもの。
ユリ科ウバユリ属。
分布は、本州の中部以北と北海道。
比較的寒冷な土地を好むようである。
これに対してウバユリは、関東地方以西から四国・九州と温かい地方に分布している。

北海道のアイヌ民族は、オオウバユリの鱗茎からデンプンを採集していた。
「トゥレップ」と呼ばれていたオオウバユリは、アイヌ民族にとって貴重な食料源であったという。

※鱗茎:葉の付け根の部分が重なり合ってできたもの。ラッキョウや玉ネギのように次々にむいていくことができる。鱗茎には、葉で作られた炭水化物がデンプンの形で蓄えられている。

「社団法人農村漁村文化協会」で出版している「聞き書アイヌの食事」によると、アイヌ民族はオオウバユリの球根(鱗茎)で「おかゆ」や「澱粉だんご」を作っている。
その「おかゆ」については、「一口すするたびにオオウバユリの鱗茎を支えていたちぎれた繊維が心地よくのどを通り、たとえ水粥のようであっても多くの具を食べたような満足感がある」と書かれている。
これを読んで、オオバユリの「おかゆ」を食べてみたいものだと思った方もいらっしゃるのでは。
「聞き書アイヌの食事」には、その作り方も書かれている。


(オオウバユリの太い茎。)


アイヌ人のように縄文人も、オオウバユリの「おかゆ」や「澱粉だんご」を食していたかどうか、残念ながらそういう記載はどこにも見当たらない。
ただ、小牧野遺跡の縄文人も、多くの縄文人同様、周囲の豊な食料資源を利用していたことは間違いないはずである。

オオウバユリは、大きいもので背丈が2メートルに達するという。
古代植物のイメージが濃いが、一般のユリの花とは外見が違うため帰化植物の印象も濃い。
そういうことに興味を持ち、県立図書館の植物図鑑で調べてみたが、オオウバユリが古代植物であるのか帰化植物であるのか、そういう記事は見つけられなかった。

花がきれいに開くササユリとかスカシユリとかヒメサユリとかの記述は多いが、花の外見がきれいとは言えないオオウバユリは、あまり話題に上らないのだろうか。

オオウバユリの最大の特徴は、種が発芽してから、6~8年の間は花を付けずに根に栄養を貯め、最後に花をつけて枯れてしまうこと。
だから園芸用にはまったく向かない。

縄文人は食料になる植物を乱獲しない。
花が咲くまでじっと待ち続け、花が咲いたものから順々に球根を採取する。
これは私の空想だが、オオウバユリは縄文人の生活サイクルに合った食材だったのではないだろうか。


(葉。)


(道の両側に出ている。フキの葉の間から茎を伸ばしているオオウバユリ。)


(遺跡の中、環状列石のそばで、オオウバユリだけ刈られずに直立。)
Next Post Previous Post

広告