雑談散歩

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万緑のなか、桜の紅葉が始まっている

桜の紅葉
桜の紅葉が始まった。
この頃、朝晩がめっきり涼しくなり、そろそろ、桜の葉が色づくのではと思っていたのだが、案の定。

桜の紅葉は、他の木よりも一足早い。
一本の木で部分的に紅葉が始まる。

まだ青々とした葉があるうちに、ところどころ色づき始める。
その深緑と赤のコントラストが見もの。

緑と赤を交互に見比べ。
夏と秋を交互に懐かしむ。
紅葉
草と落ち葉。
桜の紅葉は色取りが様々。
赤だったり、橙だったり、黄色だったり。

紅葉が見事な秋を錦秋(きんしゅう)と言う。
では、緑が見事な夏は緑夏か?
緑夏とは言わない。
強いてあげるなら万緑(ばんりょく)
万緑とは、見渡す限り草木が緑である様を言い表す言葉で、俳句では夏の季語となっている。
枯れかかる紅葉。
万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)。
そうか、早く色づいた葉は、紅一点をねらってるのか。
紅一点が、紅二点になり紅三点になる。

そうしているうちに周囲の木々の葉も色づき出す。

「もう、すぐね。」
緑の葉に囲まれた桜の紅葉を、立ち止まって眺めていた老婦人がつぶやいた。
年老いた人の「もう、すぐね。」にはいろんな思いがこめられている。
緑の草の中で枯れかかる紅葉。
小学生の女の子が「もう、すぐね。」と言うと、それは、もう間近に迫った秋の連休、シルバーウィークのこと。

年老いるとは、遠くが見えるようになること。
ずうっと先の様々なことが、老婦人にとっては間近なことなのだ。

風景はコントラスト。
そのなかに、人々の思いのコントラストが潜んでいるのさ。
紅葉始まる。

松尾芭蕉45歳の時の句。
桜の紅葉を眺めていると、この句は秋の桜にも通じるのではと思ってしまう。
芭蕉は、若い頃の自分や周囲の人のことを思い出しながら、同時に将来のことにも思いを馳せていたのかもしれない。
過去と未来のコントラスト。
それが芭蕉の「考える方法」だったのか・・・・。

万緑のなか、桜の紅葉が始まっている。
部分染のような桜の紅葉。
燃え尽きたような落葉。
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