ポプラは、地下の根を大きく張らないために倒れやすい。
この剪定は、背が高くなったポプラが、強風で倒れるのを防ぐためのカットなのだろう。
以前、公園のヒマラヤスギの剪定のことを記事にしたことがあった。
高い木は、風当たりが強い。
ポプラの大木が強風で倒れたら、人を怪我させたり、建物を壊したりする。
このポプラの痛々しい姿は、安全のための「危険防止剪定」された姿なのだ。
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上部の枝がちょん切られている。 |
そのため、近頃では、ポプラは公園樹として採用されにくくなっているという。
そして、すでに植えられ大きく成長したポプラは、こんな扱いを受けている。
危険防止剪定。
それがポプラの運命。
都市のなかの自然は、自然のままでは許されない。
ところが、ポプラは、切られても切られても枝を伸ばして樹形を整える。
ちょっとしたカッコマンの木なのだ。
その再生力はプラタナスに負けない。
ポプラは、倒れない限りはカッコよく立っている。
堂々とした、大きなポプラのある風景は良いもの。
それを眺める人たちは、少年少女の頃を思い出す。
学校の校庭には、いつも立派なポプラの木が立っていた。
ポプラは、子ども時代の郷愁を誘う木である。
その郷愁に応えようと、切られても切られても、自ら樹形を整える。
切られても切られても復活する。
まるで「切られ与三郎」。
おっと、古い話だ。
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高さ制限剪定が施されたポプラ。 |
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相変わらず子だくさん。 |
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突き出た枝が骨のようで痛々しい。 |