芭蕉のカメラワーク「炉開きや左官老い行く鬢の霜」
元禄五年、芭蕉49歳の作とされている。
芭蕉は、元禄七年の冬に51歳で亡くなっているから、他界する2年前の句。
「炉開き」とは、一般では、冬を迎える準備として囲炉裏の蓋を開けること。
茶の湯では、10月の終わりから11月の初めにかけて、茶事の風炉に変わって炉を開いて用いることだという。
私が生まれた津軽半島の村の家にも囲炉裏があった。
ただ私が子どもの頃、暖房には薪ストーブや石炭ストーブを使っていたので、囲炉裏の蓋はほとんど閉じられたままだった。
江戸時代において囲炉裏は、寒い冬を越えるための重要な暖房設備だったに違いない。
芭蕉は冬期の暖房として、囲炉裏を使っていたのか、火鉢や行火(あんか)を使っていたのか、あるいは炬燵(こたつ)を使っていたのか、私には不明である。
庶民にとって「炉開き」とは、実際に囲炉裏が無くても「衣替え」同様、冬支度のための年中行事であったのだろう。
冬の暖房器具の準備をしながら、家(芭蕉庵)にも冬支度を施すために、芭蕉がなじみの左官を呼んだというのが、この句の一般的な「解釈」である。
厳しい冬に向けて隙間風を防ぐために、家の内壁や外壁の修理をするのが「炉開き」だった。
炉開(ろびら)きや左官老い行く鬢(びん)の霜
松尾芭蕉
「左官老い行く」とあるから、以前から顔見知りの左官だったことがわかる。
「鬢」とは耳際の髪の毛のこと。
頭の左右側面部の髪のことも「鬢」と呼ぶとのこと。
「霜鬢(そうびん)」という言葉があって、それは霜が降りたように白い「鬢」の毛のことであるとか。
芭蕉は、知り合いの左官の横顔に「霜鬢」があるのを目にしたのだろう。
左官が芭蕉と同年代であったら、芭蕉は、左官の老いに自身の老いを重ね合わせたのかもしれない。
しかし、芭蕉庵での左官の作業風景の句だとしたら、句の空間が限定されていて面白みに欠ける。
「炉開き」は芭蕉庵のそれでは無くて、年中行事としてのものなのではあるまいか。
あちこちの家で冬支度が始まっている。
そのために、芭蕉の知り合いの左官もひっぱりだこだ。
それ自体が晩秋から初冬にかけての風物詩となっている。
年譜によると、元禄五年の5月に「第三次芭蕉庵」が深川に新築されている。
新築であるから、この年の冬は、芭蕉庵の修理は必要ないのではと思われる。
芭蕉は「炉開き」風景を見物するために散歩に出かけたのではあるまいか。
町の中で、大工や左官たちが忙しそうに動きまわっている。
そんな騒然としたなかで知り合いの左官とすれ違う。
挨拶を交わしながら、彼の鬢に白髪が目立つようになったなぁと感じ入る。
各家々の「炉開き」の忙しい様子をロングショットでとらえ、左官の鬢の白髪をクローズアップする。
その背景に初冬の冬枯れの町並み。
冬枯れの風景が「老い行く」という言葉にオーバーラップする。
この句を、そうイメージするほうが面白い。
「老い」は、冬を前にして顕著になるものなのか・・・・・・・。
芭蕉は興味深げに周辺を見回す。
翁はカメラワークに忙しくて、自身の老いには気づかないでいる。
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芭蕉は、元禄七年の冬に51歳で亡くなっているから、他界する2年前の句。
「炉開き」とは、一般では、冬を迎える準備として囲炉裏の蓋を開けること。
茶の湯では、10月の終わりから11月の初めにかけて、茶事の風炉に変わって炉を開いて用いることだという。
私が生まれた津軽半島の村の家にも囲炉裏があった。
ただ私が子どもの頃、暖房には薪ストーブや石炭ストーブを使っていたので、囲炉裏の蓋はほとんど閉じられたままだった。
江戸時代において囲炉裏は、寒い冬を越えるための重要な暖房設備だったに違いない。
芭蕉は冬期の暖房として、囲炉裏を使っていたのか、火鉢や行火(あんか)を使っていたのか、あるいは炬燵(こたつ)を使っていたのか、私には不明である。
庶民にとって「炉開き」とは、実際に囲炉裏が無くても「衣替え」同様、冬支度のための年中行事であったのだろう。
冬の暖房器具の準備をしながら、家(芭蕉庵)にも冬支度を施すために、芭蕉がなじみの左官を呼んだというのが、この句の一般的な「解釈」である。
厳しい冬に向けて隙間風を防ぐために、家の内壁や外壁の修理をするのが「炉開き」だった。
炉開(ろびら)きや左官老い行く鬢(びん)の霜
松尾芭蕉
「左官老い行く」とあるから、以前から顔見知りの左官だったことがわかる。
「鬢」とは耳際の髪の毛のこと。
頭の左右側面部の髪のことも「鬢」と呼ぶとのこと。
「霜鬢(そうびん)」という言葉があって、それは霜が降りたように白い「鬢」の毛のことであるとか。
芭蕉は、知り合いの左官の横顔に「霜鬢」があるのを目にしたのだろう。
左官が芭蕉と同年代であったら、芭蕉は、左官の老いに自身の老いを重ね合わせたのかもしれない。
しかし、芭蕉庵での左官の作業風景の句だとしたら、句の空間が限定されていて面白みに欠ける。
「炉開き」は芭蕉庵のそれでは無くて、年中行事としてのものなのではあるまいか。
あちこちの家で冬支度が始まっている。
そのために、芭蕉の知り合いの左官もひっぱりだこだ。
それ自体が晩秋から初冬にかけての風物詩となっている。
年譜によると、元禄五年の5月に「第三次芭蕉庵」が深川に新築されている。
新築であるから、この年の冬は、芭蕉庵の修理は必要ないのではと思われる。
芭蕉は「炉開き」風景を見物するために散歩に出かけたのではあるまいか。
町の中で、大工や左官たちが忙しそうに動きまわっている。
そんな騒然としたなかで知り合いの左官とすれ違う。
挨拶を交わしながら、彼の鬢に白髪が目立つようになったなぁと感じ入る。
各家々の「炉開き」の忙しい様子をロングショットでとらえ、左官の鬢の白髪をクローズアップする。
その背景に初冬の冬枯れの町並み。
冬枯れの風景が「老い行く」という言葉にオーバーラップする。
この句を、そうイメージするほうが面白い。
「老い」は、冬を前にして顕著になるものなのか・・・・・・・。
芭蕉は興味深げに周辺を見回す。
翁はカメラワークに忙しくて、自身の老いには気づかないでいる。
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