芭蕉の夢うつつ「馬に寝て残夢月遠し茶の煙」
まるでイメージの寄せ集めのような句。
「馬に寝て」「残夢」「月遠し」「茶」「煙」。
個々のイメージをつなぎ合わせると以下のような情景が思い浮かぶ。
馬上で寝て、夢の続きを見ているような夢うつつのとき、月は遠くに消えそうで、茶の煙が空にたなびいた。
どうも、そのまんまだね。
夢うつつの馬上旅。
進むほどに、不思議な世界が目の前に展開する。
さっきまで頭上にあった月がいつのまにか遠くに退く。
茶の煙がゆらゆらと立ちのぼっている。
どこからどこまでが夢なのか。
馬上で居眠りしていることが、夢の続きであったのか。
まるで旅自体が幻影のような。
そんな宙に浮いているような情景。
どうも、そのまんまだね。
夢うつつの馬上旅。
進むほどに、不思議な世界が目の前に展開する。
さっきまで頭上にあった月がいつのまにか遠くに退く。
茶の煙がゆらゆらと立ちのぼっている。
どこからどこまでが夢なのか。
馬上で居眠りしていることが、夢の続きであったのか。
まるで旅自体が幻影のような。
そんな宙に浮いているような情景。
という前文があって、そのあとに句が続いている。
馬に寝て残夢(ざんむ)月遠(つきとお)し茶の煙(けぶり)
松尾芭蕉
掲句は、「前文」が無ければ宙に浮いたままだが、この前文で地上のものとなっている。
「前文」中の「小夜の中山(さよのなかやま)」とは、現在は、静岡県掛川市「佐夜鹿(さよしか)」にある峠。
峠の両脇は、目もくらむ深い谷。
古くから、箱根峠や鈴鹿峠と列んで、東海道の三大難所とされていた。
古文での「驚く」には、「はっと気が付く」や「はっとして目を覚ます」の意味がある。
「早行(さうこう・そうこう)」とは、早朝に旅立つこと。
そこで、ネットで「杜牧」の「早行」という詩を探し出して読むと、この芭蕉の「前文」とほとんど重なっている。
「前文」に、「杜牧が早行の残夢」と記してあるように、この句は「早行」のイメージそのままのような印象である。
「早行」に無いものは、「茶の煙」だけ。
「茶の煙」とは、早朝に茶農家が摘んだ茶葉の熱処理のため、茶葉を蒸すことによって発生した煙のことなのだろう。
季節は秋であるから、茶どころである一帯には「茶の煙」が立ち上がっていたに違いない。
芭蕉は、まだ暗いうちから宿を出た。
馬にまたがりながら、ときどき眠気におそわれる。
夢うつつの状態での、早朝の旅立ちだった。
掲句の「前文」に「馬上に鞭をたれて」とあるが、芭蕉は鞭を持っていなかっただろう。
馬方のオヤジが手綱を引いていたのだから。
ここらへんから芭蕉の「前文」は「杜牧の早行」と渾然一体となる。
芭蕉は居眠りしながら、「杜牧の早行」の世界を彷徨っていたのだろう。
それが芭蕉の「残夢」。
その夢見心地も、難所である「小夜の中山」に差し掛かったところで終了。
馬方のオヤジが、馬上の芭蕉に声をかけた。
「だんな、こっから先は寝ぼけてちゃいけませんぜ。馬から転がり落ちたら千尋の谷底でさ。」なんてね。
馬方のオヤジはリアリストである。
お客を無事に目的地まで届け、その料金をいただかなくてはならない。
家に帰れば、子どもの8~10人ぐらいはいたかもしれない。
「杜牧の早行」なんて知る由もない。
芭蕉は、馬方の叱責にも似た掛け声に、はっと我に返った。
その我に返ったところも、「杜牧の早行」と重なる。
目覚めて、険しい峠を行く芭蕉の眼に、平穏な山里の「茶の煙」が見えた。
目の先に平穏があって、安堵した芭蕉だった。
私がこの句で面白いと感じたのは、句の表面に現れない馬方の存在感である。
そのことを芭蕉は意識したか、しなかったか。
私も馬方のオヤジと同じ、「杜牧の早行」なんて知る由もない。
芭蕉の旅の無事を願うばかりなのだ。
以下は、ネットで拾った「杜牧」の詩「早行」。
ご参考までに。
垂鞭信馬行(鞭を垂れて馬に信せて行く)
林下帯残夢(林下残夢を帯び)
葉飛時忽驚(葉飛んで時に忽ち驚く)
霜凝孤雁迥(霜凝りて孤雁迥かに)
月暁遠山横(月暁にして遠山横たわる)
僮僕休辞険(僮僕険を辞することを休めよ)
時平路復平(いずれの時か平路平かならん)