芭蕉登山する「雲の峰幾つ崩れて月の山」
芭蕉は、「おくのほそ道」の旅で出羽三山に立ち寄り、羽黒山、月山、湯殿山に登ったとみられる。
芭蕉が、後にも先にも「登山」をしたのは、この出羽三山だけではあるまいか。
出羽三山の巡礼登山。
「おくのほそ道」本文に、「六月三日、羽黒山に登る。」とある。
6月3日は羽黒山の登り口から南谷に登り、南谷にある宿泊施設で一泊。
4日の昼に本坊宝前院若王寺にて俳諧興行。
5日に南谷から三の坂を経て羽黒山山頂に到着、羽黒本社に詣でたとされている。
「氷雪を踏てのぼる事八里」とあるから、長時間の難儀な登高だったことが推測できる。
幾つも幾つも雲の峰が崩れるのを見て、やっと山頂にたどり着いた。
月山の山頂から、その雲の峰をながめたら、雲の峰に月が上ってきた。
あたかも月山と天の月とが呼応しているような。
山を登っている芭蕉一行と、雲の峰に上がってきた月とが呼応しているような。
苦行のような登山の果てに、芭蕉が見たものは、大空に浮かぶ雲と月。
登頂を果たした芭蕉の感慨は、掲句にしか残されていない。
芭蕉はこの句で、詠嘆調の「切れ字」を使っていない。
上五と下五を体言で止めてある。
これが句の印象を淡々としたものにしている。
詠嘆の語を使うよりも、情景描写のなかに静かな驚きを込めようとしたのだろうか。
芭蕉は多くの名月の句を詠んでいる。
月山に登って、その月に近づいた。
花鳥風月。
月は、地上にいて観賞するものだった。
それが月山では、身近に月を体験したのだ。
その驚きを、静かな句に込めたと私は思っている。
現在でも月山は残雪の多い山として知られている。
月山の標高700mから1600mに位置する月山スキー場は、積雪が多すぎて冬場の交通が遮断される。
そのため4月初旬にオープンし、7月下旬まで営業可能なのだ。
芭蕉はそんな山を、氷雪を踏んで歩き、息絶え絶えに、身体も凍えた状態で登った。
出羽三山は「おくのほそ道」の旅の最大のクライマックスでなかっただろうか。
そこで芭蕉は旅の今後や俳諧の今後を占い、静かに山場を乗り越えたのだろう。
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◆松尾芭蕉おもしろ読み
芭蕉が、後にも先にも「登山」をしたのは、この出羽三山だけではあるまいか。
出羽三山の巡礼登山。
「おくのほそ道」本文に、「六月三日、羽黒山に登る。」とある。
6月3日は羽黒山の登り口から南谷に登り、南谷にある宿泊施設で一泊。
4日の昼に本坊宝前院若王寺にて俳諧興行。
5日に南谷から三の坂を経て羽黒山山頂に到着、羽黒本社に詣でたとされている。
月山へは6月8日に登っている。
その時の記事が「おくのほそ道」本文にある。
「八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ、息絶身こゞえて頂上に至れば、日没て月顕る。笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。」
この文では、山頂には日没に到着し、月が現われたとある。
雲の峰幾つ崩れて月の山
松尾芭蕉
この文では、山頂には日没に到着し、月が現われたとある。
雲の峰幾つ崩れて月の山
松尾芭蕉
登りにかかった長い時間やその間の労苦が、「幾つ」という言葉に表れていると思う。
積雲のモコモコした峰のような上部は、次々と形が変化する。
その雲の峰が崩れるのを幾つ見たことだろうという思いが込められているように思える。
そうして、その崩れかけた雲の峰の間から、月山の山頂が姿をあらわす。
そうして、その崩れかけた雲の峰の間から、月山の山頂が姿をあらわす。
幾つも幾つも雲の峰が崩れるのを見て、やっと山頂にたどり着いた。
月山の山頂から、その雲の峰をながめたら、雲の峰に月が上ってきた。
あたかも月山と天の月とが呼応しているような。
山を登っている芭蕉一行と、雲の峰に上がってきた月とが呼応しているような。
苦行のような登山の果てに、芭蕉が見たものは、大空に浮かぶ雲と月。
登頂を果たした芭蕉の感慨は、掲句にしか残されていない。
芭蕉はこの句で、詠嘆調の「切れ字」を使っていない。
上五と下五を体言で止めてある。
これが句の印象を淡々としたものにしている。
詠嘆の語を使うよりも、情景描写のなかに静かな驚きを込めようとしたのだろうか。
芭蕉は多くの名月の句を詠んでいる。
月山に登って、その月に近づいた。
花鳥風月。
月は、地上にいて観賞するものだった。
それが月山では、身近に月を体験したのだ。
その驚きを、静かな句に込めたと私は思っている。
現在でも月山は残雪の多い山として知られている。
月山の標高700mから1600mに位置する月山スキー場は、積雪が多すぎて冬場の交通が遮断される。
そのため4月初旬にオープンし、7月下旬まで営業可能なのだ。
芭蕉はそんな山を、氷雪を踏んで歩き、息絶え絶えに、身体も凍えた状態で登った。
出羽三山は「おくのほそ道」の旅の最大のクライマックスでなかっただろうか。
そこで芭蕉は旅の今後や俳諧の今後を占い、静かに山場を乗り越えたのだろう。
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