雑談散歩

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「12月22日、積雪無しの青森市」、または「ブログを書くこと」について

積雪の無い青森市街。
12月22日になっても積雪が無い青森市。
一昨日、八甲田山酸ヶ湯付近を散歩して冬を実感したのだったが、その実感が薄れるような温かさ。
12時現在の青森市の気温は6.6℃。
晴れ、ときどき曇り。

たとえば、「8月22日に青森市に積雪が無い」という記事を書いても、その記事は情報として何の価値もない。
だが、「12月22日になっても青森市に積雪が無い」という記事は、価値のある情報となっている。
その価値がどの程度のものであるかは、情報の受け手しだい。

気温は高目。
検索エンジンサイトを運営しているGoogleは、良質なサイトであるための条件のひとつとして、「ユーザーのために役立つ具体的な内容があること」というような意味合いのことを「アルゴリズム開発の背後にある考え方」として述べている。
Googleの「ウェブマスター向け公式ブログ」の「良質なサイトを作るためのアドバイス」という題名の記事にそのことが書かれている。

つまり、「ユーザーのために役立つ情報を発信しているサイト」の検索結果掲載順位を、より適切に評価するということ。
しかし、ある情報に価値を見出すのは、Googleの検索エンジンの、評価基準(アルゴリズム)では想定できないユーザー(情報の受け手)であるかもしれない。
あえて極端な例をあげれば、Googleのアルゴリズムが「登山は危険な行為であるから反社会的である」という「物差し」を持っていれば、登山情報のサイトは「低品質で無益なサイト」とみなされる。

しかし、一方でGoogleは「コンテンツの独自性・研究・分析」なども評価の基準としているから、上記のような「物差し」はあり得ない。

人はなぜ情報を求めるのだろう。
そのひとつに、「疑問に思っていることを、確かめるため」ということがあげられる。

「12月22日に青森市に積雪が無い」という情報を、情報を求める側の視点に立ってみると以下のようなことが考えられる。

12月23日の祝日に青森市の雪景色を楽しみたいという「熱烈青森雪景色ファン」な観光客が北九州市にいらっしゃるとしたら。
彼女は、今年は暖冬で、青森市は雪が少ないと聞いているが、それはどの程度のものなのだろうかという疑問を抱いている。
それが、「青森行」を決定するための不確定要素となって、彼女は決断を下せないでいる。
彼女はネット検索をして、いろいろ調べているうちに、このブログのこの記事にたどり着く。

雑談のような記事でも、ここには彼女の求める「具体的な内容」がある。
この記事の写真情報をみれば一目瞭然。

だが、彼女は「記事に書かれている情報や写真は信頼できるものか?」とか「この記事は、専門家またはトピックについて熟知している人物が書いたものか?」とか「この記事に、事実に関する誤りはないか?」とかを考える。
彼女は、この疑問を解決するために、このブログの他の情報を探す。

「去年の今頃の雪の具合」とか「秋が終わって、やっと冬景色の青森市になるかと思ったが・・・・」とか「雪が少ない八甲田の冬景色を見物」とかの記事が彼女の眼に触れ、彼女はこれらの記事を読むことで、このブログの「情報の信頼度」がまあまあであることを知る。
そういう訳で、彼女が「23日の青森行」を断念する上で、この記事は役立っていると思うのだ。

たとえば、「記事が取り上げているトピックについて、しっかりと全体像がわかる説明がなされているか?」と問われれば、そこまで書く必要は無いでしょうと答える。
今年の冬が、今のところ暖冬傾向であるということは周知のことであるからだ。

「現在何の役に立つか分からないことに、将来の宝の山がある。」という考え方に、私は共感している。
これが、ブログを書く楽しみではなかろうか。

というような、様々なことを考えれば、「12月22日、積雪無しの青森市」というトピックは、「ユーザーの興味に基いて選択されたもの」と言えるのではなかろうか。

公園のグランドは、春先みたいに泥濘状態。
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