雑談散歩

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一年の始まりとして、情緒的な価値がある旧正月

私が生まれ育った津軽半島の寒村。
そこでは、私が小学生の頃まで、正月は旧正月と決まっていた。
今から50年ぐらい前の話である。
そう、半世紀も前の話になるのだが。

その頃、日本中の大部分は、太陽暦(グレゴリオ暦)で正月(新正月)を祝っていたらしい。
私の村では、まだテレビが普及していなかった。
なので、カレンダーの上での元日と言っても、正月ムードはほとんどない。
新正月は都会のもの、村の正月は旧正月と割り切っていたのだった。
もちろん初詣などの正月の行事も旧暦通り行われた。

ただ、全国共通の年賀状の発送は、新暦に従っていた。
新正月の頃は、冬休みの真っただ中。
別に正月でなくても、楽しい冬休みだったのだ。

旧正月は、津軽半島の厳冬期に訪れる。
空が唸り声をあげて、幾日も続く猛吹雪。
一面の白い世界が、正月の徴(しるし)だった。

村の学校は、旧の大晦日は半ドン。
元日は休み、だったように憶えている。

文字通り正月元日が、一年の始まりである。
これは、カレンダーでそうなっている。
日本全国共通のことである。

だが、その土地土地の慣習や祭りなどによって、その土地特有の一年の始まりがあるのではなかろうか。
立春が一年の始まりであったり。
あるお祭りが一年の始まりであるような。
その土地が持っている特有のリズムが、そういう区切りをつける。

津軽半島の寒村の一年の始まりは、厳冬期の真っただ中。
おそらく、樹木の冬芽(花芽や葉芽)が厳しい寒さに眠りから覚める(休眠打破)頃ではなかろうか。
その頃が旧正月。
迎春にふさわしい時期である。

私が子どもの頃は、厳しい寒さのなかで、細々と正月を祝っていた。
その旧正月が、村だったか郡部だったかの取り決めで新正月に変わった。
中央政権か、地方の上部政権からの指導があったのかもしれない。

旧正月は時代の流れに反しているとか。
旧正月は、非進歩的で遅れたものとか。
日本全国で一斉に正月を祝おうとか。
そんな理由から、旧正月は廃れていったような。
それと同時に、地方特有の情緒も廃れていったと言えるのでは。

最近、商品開発の分野で「情緒的価値」という考えが注目されているという。
商品やサービスにおける従来の「機能的価値」に加え、個々の消費者の多様な感情や感覚を満たす「情緒的価値」を追及しようという考え方らしい。

カレンダー通りの正月イベントは「機能的価値」に満ちている。
それと同時に、地方の廃れてしまった旧正月には、土着的なもの特有の癒し感覚に満ちた「情緒的価値」があるのではなかろうか。

ある面で、機能的な価値観が危ぶまれだしているこの頃、新たな一年の始まりとして、地方の多様な旧正月が復活するなんてことはないだろうか。
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