道ほそし相撲取り草の花の露

「相撲取り草(スモウトリグサ)」という異名を持つ野草は、けっこう多い。
私が子どもの頃は、スミレやオオバコがそうだった。

スミレの花の基部には「距(きょ)」と呼ばれる筒がついている。
距に接している花柄はかぎ状にカーブしている。
この距のでっぱりと花柄をお互いに引っ掛けて引っ張り合う。
その結果、先に花が落ちた方が負け。
この遊びを、スモウとかクサズモウとか言っていたような気がする。

オオバコの場合は、花茎を両手の指で折り曲げて、それをお互いに引っ掛けて引っ張り合う。
その結果、先に花茎がちぎれた方が負けという遊び。
昭和時代の津軽地方で、私が子どもの頃、そうやって遊んだ記憶がある。
まして遊び道具に恵まれなかった江戸時代の子どもたちは、もっと盛んにクサズモウをしていたと想像できる。
男女差や体格差、体力差に関係しないクサズモウは、子ども同士で仲良く付き合うための大切なゲームだったのだ。

「スモウトリグサ」でネット検索をかけると、ヒットするのはスミレやオオバコだけではない。
メヒシバとかオヒシバとかナズナとかもヒットする。

道ほそし相撲取り草の花の露

元禄7年、芭蕉51歳のときの句。
この句は7月初旬の頃の作で、この時期なら「相撲取り草」は、メヒシバかオヒシバであろうという説がある。
しかし、それなら「相撲取り草の花の露」というイメージからは、かけ離れているように私には思える。
やはり、この花はスミレではなかろうか。

これは芭蕉の想い出の風景かもしれない、と空想してみた。
朝方か夕暮か、霧のたちこめた野の小径。
あまり人の通らない道だから、草薮に覆われていて細くなっている。
その道の際には、紫のスミレが顔をのぞかせている。
幼い頃「金作」と呼ばれていた芭蕉は、スミレを摘んで、独りで草相撲遊びをしていたのだった。

今、芭蕉は、似たような細い道を歩いていて、その想い出の小径のことを思い出した。
この草深い道の先には、草庵がある。
あの想い出の小径の先には何があったのだろう。
子ども心には永遠と思われていたものが、今は永遠では無くなっている。
だが、51歳の芭蕉にも、道の先は、ぼんやりとしか見えない。
過去と現在が重なるなかで、幼少の頃の「相撲取り草」の「花の露」が鮮明に思い浮かんだ。

人生は永遠のものではなかったが、芭蕉は51歳で亡くなるときも夢をあきらめなかった。
病中吟として「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と詠んだのだった。
遺書は書いたが、辞世の句は書かなかった。

道ほそし相撲取り草の花の露

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