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この秋は何で年寄る雲に鳥

2016/11/23
年老いたことに対する自覚は、どんな時に訪れるのだろう。
若い頃は2時間で登っていた山が、今は3時間以上かけなければ山頂に達しない。
そういう体力の衰えを感じた時だろうか。
しかし、年老いても体力の衰えはトレーニングでいくらかは挽回できる。
そういう気概があるうちは、まだ年老いたことに対する自覚は本格的ではない。

いつまでたっても病状が回復しない。
そればかりか、だんだん悪化して、治る兆しが見えない。
手や脚の力が抜けていって、自身の体を支えることがままならない。
体が動かなくなる。
動く気力を奪われていくような。
そういう死の予感とともに、年老いたという本格的な自覚が訪れるのではなかろうか。
逆に言えば、死の予感のようなものが無ければ、人は老いることは無い。
生きていることは、常に老いを退けているのだと思いたい。

この秋は何で年寄る雲に鳥

元禄7年9月26日、芭蕉51歳の作。
芭蕉は9月29日に病床に臥してから、亡くなるまで立ち上がることは無かった。
その3日前の作とされている。

句の前書きに「旅懐」とある。
「旅懐(りょかい)」とは、旅にたいして抱く思いのこと。
この年の夏の初めに江戸を出た芭蕉は、まだ旅の途中である。
生まれ故郷の伊賀上野への帰郷と、大津、京都、大坂へ立ち寄る旅。
その地その地で催された、蕉風一門の「句会」への出席。
今までの旅とは違って、この秋は、体調の悪さが著しい。

「今回の旅の秋は、どうしてこんなに老いの衰弱に悩まされるのだろう」という芭蕉の詠嘆。
心の嘆きを、こうも直接的に表した芭蕉の句は少ないのではないだろうか。
下五の「雲に鳥」とは、雲の彼方へ去っていく渡り鳥のことと思われる。
それは冬の到来を前に、次のステージへ旅立つ姿である。

今まで自身の句のなかに取り込んでいた花鳥風月が、次のステージへ向かって旅立っていく。
自分の目の届くところにあったものが、視界から消え去ろうとしている。
病で動けずにいる芭蕉の、取り残されたという実感が、年老いた「行く末」を自身に知らしめている。
それに対して、「何で」と嘆くのは、まだまだやり残したことがあるという芭蕉の無念の嘆きだろう。

かつて小杉一笑の早世を悲しんで「塚も動け我泣声は秋の風」と、心の嘆きを直接的に表した勢いは、もう無い。
が、感情を「劇」に組み立てる作業はなされているように思える。
「この秋は何で年寄る」という嘆きを、「雲に鳥」という大空の舞台へ放った。
かつて、文筆で生計を立てるために29歳で江戸に出た芭蕉。
年老いた芭蕉は、雲の彼方へ消えていく鳥と、自身の元気だった日々を重ねて観客に見せているのかもしれない。
死につながるかもしれない老いを自覚した芭蕉は、雲の果てに飛んでいく鳥に自身の「夢」を託したのだ。
その鳥が、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という句の夢につながっていく。
老いを死につなげずに、「夢」を未来につなげたのだ。
芭蕉は最後まで新しいステージを夢見つづけた。

この秋は、どうして年寄っていられようか、ほら、空には雲。
雲の彼方には鳥が見える。
あの鳥のように私も飛び続けたい。
というイメージはいかがでしょう。

この秋は何で年寄る雲に鳥

「劇」の観客は、鳥とともに雲の彼方へ消えていく年老いた芭蕉の「夢」を、時のたつのも忘れて見続けている。

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