雑談散歩

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この秋は何で年寄る雲に鳥

年老いたことに対する自覚は、どんな時に訪れるのだろう。
若い頃は2時間で登っていた山が、今は3時間以上かけなければ山頂に達しない。
そういう体力の衰えを感じた時だろうか。
しかし、年老いても体力の衰えはトレーニングでいくらかは挽回できる。
そういう気概があるうちは、まだ年老いたことに対する自覚は本格的ではない。

いつまでたっても病状が回復しない。
そればかりか、だんだん悪化して、治る兆しが見えない。
手や脚の力が抜けていって、自身の体を支えることがままならない。
体が動かなくなる。
動く気力を奪われていくような。
そういう死の予感とともに、年老いたという本格的な自覚が訪れるのではなかろうか。
逆に言えば、死の予感のようなものが無ければ、人は老いることは無い。
生きていることは、常に老いを退けているのだと思いたい。

この秋は何で年寄る雲に鳥

元禄7年9月26日、芭蕉51歳の作。
芭蕉は9月29日に病床に臥してから、亡くなるまで立ち上がることは無かった。
その3日前の作とされている。

句の前書きに「旅懐」とある。
「旅懐(りょかい)」とは、旅にたいして抱く思いのこと。
この年の夏の初めに江戸を出た芭蕉は、まだ旅の途中である。
生まれ故郷の伊賀上野への帰郷と、大津、京都、大坂へ立ち寄る旅。
その地その地で催された、蕉風一門の「句会」への出席。
今までの旅とは違って、この秋は、体調の悪さが著しい。

「今回の旅の秋は、どうしてこんなに老いの衰弱に悩まされるのだろう」という芭蕉の詠嘆。
心の嘆きを、こうも直接的に表した芭蕉の句は少ないのではないだろうか。
下五の「雲に鳥」とは、雲の彼方へ去っていく渡り鳥のことと思われる。
それは冬の到来を前に、次のステージへ旅立つ姿である。

今まで自身の句のなかに取り込んでいた花鳥風月が、次のステージへ向かって旅立っていく。
自分の目の届くところにあったものが、視界から消え去ろうとしている。
病で動けずにいる芭蕉の、取り残されたという実感が、年老いた「行く末」を自身に知らしめている。
それに対して、「何で」と嘆くのは、まだまだやり残したことがあるという芭蕉の無念の嘆きだろう。

かつて小杉一笑の早世を悲しんで「塚も動け我泣声は秋の風」と、心の嘆きを直接的に表した勢いは、もう無い。
が、感情を「劇」に組み立てる作業はなされているように思える。
「この秋は何で年寄る」という嘆きを、「雲に鳥」という大空の舞台へ放った。
かつて、文筆で生計を立てるために29歳で江戸に出た芭蕉。
年老いた芭蕉は、雲の彼方へ消えていく鳥と、自身の元気だった日々を重ねて観客に見せているのかもしれない。
死につながるかもしれない老いを自覚した芭蕉は、雲の果てに飛んでいく鳥に自身の「夢」を託したのだ。
その鳥が、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という句の夢につながっていく。
老いを死につなげずに、「夢」を未来につなげたのだ。
芭蕉は最後まで新しいステージを夢見つづけた。

この秋は、どうして年寄っていられようか、ほら、空には雲。
雲の彼方には鳥が見える。
あの鳥のように私も飛び続けたい。
というイメージはいかがでしょう。

この秋は何で年寄る雲に鳥

「劇」の観客は、鳥とともに雲の彼方へ消えていく年老いた芭蕉の「夢」を、時のたつのも忘れて見続けている。

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