白菊の目に立てて見る塵もなし
白菊は、清いものの代名詞となっている。
「白菊幼稚園」とか「白菊学園」とか、清いイメージを強調したいときに用いられる。
白菊と名の付いた集団に属する者は、その名に恥じないように、自身も白菊のように清くあろうと努める。
言葉による「暗示」の力だろうか。
白菊の目に立てて見る塵もなし
松尾芭蕉
元禄7年9月27日、園女亭(そのめてい)にて催された「九吟歌仙興行」での芭蕉の発句である。
「白菊幼稚園」とか「白菊学園」とか、清いイメージを強調したいときに用いられる。
白菊と名の付いた集団に属する者は、その名に恥じないように、自身も白菊のように清くあろうと努める。
言葉による「暗示」の力だろうか。
白菊の目に立てて見る塵もなし
松尾芭蕉
元禄7年9月27日、園女亭(そのめてい)にて催された「九吟歌仙興行」での芭蕉の発句である。
園女は大坂に住んでいる蕉門の女流俳人。
夫は、医師で俳人の斯波一有(しばいちゆう)。
一有もこの日の句会に参加している。
夫は、医師で俳人の斯波一有(しばいちゆう)。
一有もこの日の句会に参加している。
芭蕉は、9月29日の夜から病が重くなり、臥床する。
その二日前の句会であるから、体調の悪さはかなりだったに違いない。
病をおして句会に参加したのだろう。
そして、これが芭蕉にとって最後の句会となった。
この句は、招いてくれた園女への挨拶句でもあるという。
この句会が催された座敷には、美しい「白菊」が飾られていたのか。
それとも、病を患っている芭蕉を気遣って、菊は縁起でもないと床の間から片付けられたのか。
それとも、病を患っている芭蕉を気遣って、菊は縁起でもないと床の間から片付けられたのか。
ともあれ「白菊」とは一塵も無いものの例え。
それをなぜ芭蕉は、「目に立てて見る塵もなし」と詠んだのだろう。
「目に立てて」とは目立つという意味であると思われる。
「目に立てて」と詠って、さらに「見る」と続ける。
限られた字数を強いられる俳諧において、同じような意味合いの言葉を二度使うのは、イメージの広がりを閉じてしまうことになりはしないだろうか。
「白菊」と「塵もなし」も同様のことと私には思われる。
掲句には、芭蕉の句に見られる空間の広がりが感じられない。
むしろ、マクロレンズで撮った「白菊」の接写写真を見せられているようなイメージである。
芭蕉は、この句を作ることによって、病に侵されている自身を「白菊」と置き換えようとしたのではあるまいか。
芭蕉は、園女を「白菊」に見立てながら、自身をも「白菊」になぞらえた。
病のけがれの無い清らかな「白菊」の、その微視的な世界に自己を投影しようとしたのかもしれない。
白という色には、状態を新しくしてやり直すというイメージがある。
病状の悪化が進行するなかで、芭蕉は、自身をまっさらな状態にリセットしようと、「白菊」という言葉に暗示を求めたのではあるまいか。
白菊の目に立てて見る塵もなし
この句は、園女への挨拶句という趣を借りた芭蕉自身の祈りの句であると、私は想像している。
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芭蕉は、この句を作ることによって、病に侵されている自身を「白菊」と置き換えようとしたのではあるまいか。
芭蕉は、園女を「白菊」に見立てながら、自身をも「白菊」になぞらえた。
病のけがれの無い清らかな「白菊」の、その微視的な世界に自己を投影しようとしたのかもしれない。
白という色には、状態を新しくしてやり直すというイメージがある。
病状の悪化が進行するなかで、芭蕉は、自身をまっさらな状態にリセットしようと、「白菊」という言葉に暗示を求めたのではあるまいか。
白菊の目に立てて見る塵もなし
この句は、園女への挨拶句という趣を借りた芭蕉自身の祈りの句であると、私は想像している。
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