ものの在り方「捨舟のうちそとこほる入江かな」

捨舟とは、捨てられた小舟のこと。
舟底の板が剥がれたり。
舟底に大きな穴が開いたりして、舟として役に立たなくなったものが湖に放置されている。
棄てられたまま、少し傾いて浮かんでいる。
舟の縁には、うっすらと白い雪。
「捨舟」の背後には、寒々とした冬の入江の、侘びしいモノクロームの光景が広がっている。

捨舟(すてぶね)のうちそとこほる入江かな
野沢凡兆

「こほる」とは「凍る」の意。
「捨舟」に浸入した水と、「捨舟」の周囲の水面が凍っている。
そんな入り江の寒々とした景色が、鮮明に目に浮かぶ句である。

どうして凡兆の句は、こうも映像が鮮明なのか。
それは、余分な感情の言葉が無いからだろう。
風景のなかの「もの」の存在感がそのまま句に詠みこまれている。
「もの」に対する凡兆の、独特の感性が映像として浮かび上がっているように思える。

抒情では無く叙景。
その叙景のなかにある抒情を、凡兆は「捨舟」として、句を読むものに差し出す。

「捨舟」の抒情とはなんだろう?
半分沈みながら、水面に浮かんでいる「捨舟」。
沈みそうで沈まない。
朽ち果てるまでは、沈まない「捨舟」。
かつては、湖面を滑るようにして、漁に出ていた舟なのだが、今は湖岸に貼りついて、沈みつつある。

「舟」であった頃は、「うち」と「そと」とは別の世界であった。
「うち」は、漁師の生活を抱えて、水の浸入を許さなかった。
「そと」では湖の魚が生き生きと泳いでいたが、「うち」に捕まった魚は死に瀕した。
漁師にとっては「うち」は生の世界。
「そと」は死の世界。
湖の魚にとっては、「そと」は生の世界、「うち」は死の世界。
生と死の世界を分けていた「舟」。
それが今は「捨舟」となって、「舟」自身のなかで、生と死が混在している。

湖岸の道を通るたびに目にした「捨舟」が、今朝は湖と一緒に凍っている。
冬になって、「舟」の生が、すっかり湖の死に捕りこまれてしまっている姿。
小舟の残骸という存在が、徐々に擬人化されていくような「ものの在り方」。
その「ものの在り方」が、凡兆の抒情なのかもしれない。

そういえば、「剃刀や一夜に金情て五月雨」「物の音ひとりたふるる案山子かな」という句も。
「剃刀」や「案山子」に描かれた「ものの在り方」に独特の抒情が感じられる。
凡兆が創り出している鮮明なイメージが、「ものの在り方」を物語っているのかもしれない。
そして「捨舟」や「剃刀」や「案山子」に「物」以上の存在を感じることで、私達は凡兆の句から、更に鮮明な映像を受け取ることになるのだろう。

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