日常から1000文字以上を探す出すことが、私がブログを書く上での仕事となっている
トップブロガーとは?
トップブロガーとは「読者にとって価値のある記事」が書ける人であると、多くの有名ブロガーが、そう仰っている
もちろん、トップブロガーはトップアフィリエイターでもある。
プロブロガーとして高額な収入を得ている、一握りの人達のこと。
トップブロガーになるためには、ユーザーのことを第一に考えているブロガーでなければならないという。
なるほど、流石、有名ブロガーさんのお話はためになる。
彼らがトップブロガーでもある所以である。
検索エンジン最大手であるGoogleも、「読者にとって価値のある情報」があるサイトは、検索順位が上位にランクされると仰っている。
それは、その記事を読むことによって、読者の利になることが書かれている記事。
平ったく言えば、「お得な情報」とか「お役立ちな情報」。
そんな記事をたくさん所有しているブログが、ユーザーにとって読む価値のあるブログなのである。
そういうブロガーさんには、たくさんのアクセスが集まる。
ひと月に100万PVなどザラであるとか。
世の中の役に立っているのだから、当然の結果なのだろう。
人様にお役立ちな情報も持ち合わせてはいない。
というようなローレベルブロガーである私は、そもそも他人様のためにブログを書いている訳ではない。
この作文ブログは、一目瞭然、まったくの自己満足のためのブログなのである。
自己満足ブログを書いている理由は、大きく分けて三つある。
プロブロガーとして高額な収入を得ている、一握りの人達のこと。
トップブロガーになるためには、ユーザーのことを第一に考えているブロガーでなければならないという。
なるほど、流石、有名ブロガーさんのお話はためになる。
彼らがトップブロガーでもある所以である。
検索エンジン最大手であるGoogleも、「読者にとって価値のある情報」があるサイトは、検索順位が上位にランクされると仰っている。
価値のある記事とは何か?
ところで、「読者にとって価値のある記事」とは、何だろう?それは、その記事を読むことによって、読者の利になることが書かれている記事。
平ったく言えば、「お得な情報」とか「お役立ちな情報」。
そんな記事をたくさん所有しているブログが、ユーザーにとって読む価値のあるブログなのである。
そういうブロガーさんには、たくさんのアクセスが集まる。
ひと月に100万PVなどザラであるとか。
世の中の役に立っているのだから、当然の結果なのだろう。
ブログを書き続けている理由
ところで私には、「読者にとって価値のある記事」を書く能力は無い。人様にお役立ちな情報も持ち合わせてはいない。
というようなローレベルブロガーである私は、そもそも他人様のためにブログを書いている訳ではない。
この作文ブログは、一目瞭然、まったくの自己満足のためのブログなのである。
自己満足ブログを書いている理由は、大きく分けて三つある。
- 発見能力をより高めるため。
- 表現能力をより高めるため。
- ストレス解消のため。
以上の、自分本位な三つ。
このブログは、インプット能力とアウトプット能力を高めるためと、鬱憤晴らしの自己満足ブログなのである。
そういう体験は、すべて自分自身にとってインプット(入力)である。
そして、体験しても、その中から何かを見つけ出さなければ、その学習や体験は自身の資産とはならない。
何かを発見できなければ、体験の意味を理解できないからだ。
いつもの山へハイキングに行って新ルートを発見する。
そのルートは、退屈な従来のルートでは見ることのできない景色を遠望することができる。
いろいろなルートを歩くということは、ハイカーにとって楽しみの幅が広がるということ。
また、その山の違う側面を覗けるから、その山に対する理解が深くなる。
このように、発見能力は理解力を高める能力なのである。
ブログを書き進めているなかで、選んだ言葉が何かを発見するというこもある。
たとえば、地名を書くと、その地名の由来を調べたりする。
そして由来がわかったら、その土地の歴史を垣間見たり。
こうして、ブログを書いていると発見能力が培われる。
それは、企画やアイデアを出力することである。
自分の考えや新たな発見を、文章にすることもアウトプットのひとつ。
書くことは、インプットでもありアウトプットでもある。
成果や実績を出すことは、表現力を駆使して自己実現を果たすこと。
表現の方法は様々。
対象の様々な面に、文章で迫るのもひとつの表現の方法。
雑談で場を和ませたり、リラックスしたりするのも表現の方法。
表現能力は自己実現力を高める能力であると思う。
頭の中のものをクリーンな空気の中へ放出し、しばらく経ってからそれを取り込む。
こだわりや固定観念が取り払われて、視野が広がり、ものの見方考え方に幅が出来、発見能力や表現能力が高まる。
この頃、ブログを書く方法として、一記事の文字数を1000文字以上書くことにしている。
私のブログのテーマは、日常の雑多な出来事。
1000文字以上の文字数で記事を書くということは、私は日常の出来事から1000文字を探し出さなければならないということ。
ブログを書くことは、そういう仕事が伴う。
1000文字以下では気づかないことが、1000文字以上書くと、おぼろげながら姿を現す。
ものを書く作業の中で、見えてくる現実もある。
たとえば500文字以下では影も形も見えなかったものが、500文字以上書くことでその影が見えるようになったみたいに。
1000文字という数字は、こんな体験から得た数字である。
過去に500文字で良かったものが、ブログを書き進めていく中で、今は1000文字でなければならなくなる。
そうでなければ、日常と言う実態に、更に迫ることができないと思っている。
何よりも今は、1000文字以上でブログを書き続けることが、確実に私のためになっていると思っている。
発見能力を高め、表現能力を高め、ストレス解消にもなっている。
それらは、全て私のために。
このブログ(雑談散歩)に「読者にとって価値のある記事」は見当たらないかもしれないが、読者にとって共感できる記事が少しぐらいはあるかもしれない。
それが、ユーザーのためになっていないこのブログの救いである。
一記事の文字数が、2000文字とか3000文字とかになれば、内容も幅広く豊かになり深さも増してくる。
それに伴って、発見能力や表現能力が高くなるかもしれない。
そこまでは、まだ遠い道のり。
今は、とりあえず1000文字以上の仕事ということで。
このブログは、インプット能力とアウトプット能力を高めるためと、鬱憤晴らしの自己満足ブログなのである。
発見能力
本を読んだり、生活の中で何かを感じたり。そういう体験は、すべて自分自身にとってインプット(入力)である。
そして、体験しても、その中から何かを見つけ出さなければ、その学習や体験は自身の資産とはならない。
何かを発見できなければ、体験の意味を理解できないからだ。
いつもの山へハイキングに行って新ルートを発見する。
そのルートは、退屈な従来のルートでは見ることのできない景色を遠望することができる。
いろいろなルートを歩くということは、ハイカーにとって楽しみの幅が広がるということ。
また、その山の違う側面を覗けるから、その山に対する理解が深くなる。
このように、発見能力は理解力を高める能力なのである。
ブログを書き進めているなかで、選んだ言葉が何かを発見するというこもある。
たとえば、地名を書くと、その地名の由来を調べたりする。
そして由来がわかったら、その土地の歴史を垣間見たり。
こうして、ブログを書いていると発見能力が培われる。
表現能力
アウトプットは、インプットで得た資産を利用して、成果や実績を出すこと。それは、企画やアイデアを出力することである。
自分の考えや新たな発見を、文章にすることもアウトプットのひとつ。
書くことは、インプットでもありアウトプットでもある。
成果や実績を出すことは、表現力を駆使して自己実現を果たすこと。
表現の方法は様々。
対象の様々な面に、文章で迫るのもひとつの表現の方法。
雑談で場を和ませたり、リラックスしたりするのも表現の方法。
表現能力は自己実現力を高める能力であると思う。
ストレス解消
ストレス解消は、上記ふたつの能力を高めるために必要である。頭の中のものをクリーンな空気の中へ放出し、しばらく経ってからそれを取り込む。
こだわりや固定観念が取り払われて、視野が広がり、ものの見方考え方に幅が出来、発見能力や表現能力が高まる。
一記事1000文字以上
上記の効能を期待して、私はブログを書いている。この頃、ブログを書く方法として、一記事の文字数を1000文字以上書くことにしている。
私のブログのテーマは、日常の雑多な出来事。
1000文字以上の文字数で記事を書くということは、私は日常の出来事から1000文字を探し出さなければならないということ。
ブログを書くことは、そういう仕事が伴う。
1000文字以下では気づかないことが、1000文字以上書くと、おぼろげながら姿を現す。
ものを書く作業の中で、見えてくる現実もある。
たとえば500文字以下では影も形も見えなかったものが、500文字以上書くことでその影が見えるようになったみたいに。
1000文字という数字は、こんな体験から得た数字である。
過去に500文字で良かったものが、ブログを書き進めていく中で、今は1000文字でなければならなくなる。
そうでなければ、日常と言う実態に、更に迫ることができないと思っている。
共感できる記事
この先は、2000文字とかになるかもしれないが、それは書き進めていかなければわからないこと。何よりも今は、1000文字以上でブログを書き続けることが、確実に私のためになっていると思っている。
発見能力を高め、表現能力を高め、ストレス解消にもなっている。
それらは、全て私のために。
このブログ(雑談散歩)に「読者にとって価値のある記事」は見当たらないかもしれないが、読者にとって共感できる記事が少しぐらいはあるかもしれない。
それが、ユーザーのためになっていないこのブログの救いである。
一記事の文字数が、2000文字とか3000文字とかになれば、内容も幅広く豊かになり深さも増してくる。
それに伴って、発見能力や表現能力が高くなるかもしれない。
そこまでは、まだ遠い道のり。
今は、とりあえず1000文字以上の仕事ということで。