凡兆のけんか腰?「吹風の相手や空に月ひとつ」
夜の空にも、いろいろある。
満天の星空とか、雲ひとつない夜空とか。
満天の星空は、月の光が弱い新月の頃に現れる。
月の光が強い満月の頃は、星の姿が見えなくなる。
月が明るいと星の幽かな光は、月の光にかき消されてしまうのだ。
満月の夜は、金星などの強い光を放つ星しか見えない。
雲ひとつない夜空に満月と星が少々。
上空にも風があるものの、その風によって吹き飛ばされる雲は見当たらない。
吹風(ふくかぜ)の相手や空に月ひとつ
野沢凡兆
満天の星空とか、雲ひとつない夜空とか。
満天の星空は、月の光が弱い新月の頃に現れる。
月の光が強い満月の頃は、星の姿が見えなくなる。
月が明るいと星の幽かな光は、月の光にかき消されてしまうのだ。
満月の夜は、金星などの強い光を放つ星しか見えない。
雲ひとつない夜空に満月と星が少々。
上空にも風があるものの、その風によって吹き飛ばされる雲は見当たらない。
吹風(ふくかぜ)の相手や空に月ひとつ
野沢凡兆
悠然と満月が輝いている夜空。
秋の強風が、家の雨戸をたたき、堀川沿いの立木を揺らしている。
街なかを歩いている者は、着物の裾を押さえ、頭を押さえて夜の家路を急ぐ。
どこかから剥がれた貼り紙が宙に舞い、薄い板切れが飛び交う。
街路を横切る野良犬も急ぎ足。
市中には、風の動きを見せるものがたくさんあるが、雲ひとつない夜空は平穏そのもの。
風で動く雲もなく、空で風の動きを見せるものは何一つない。
地上の風には動じもしない月が、風に巻き込まれている市中の人々の暮らしを、淡々と見下ろしているような。
そんな月明かり。
風は、月を相手に吹いているのではない。
京の都を襲っているのだ。
「市中は物のにほひや夏の月」で、蒸し暑い京の街を見下ろしていた月。
その月が秋には、物騒がせな風の相手を強制されている市中の暮らしを見下ろしている。
地上の喧騒と天空の静寂。
凡兆はそんな対比を句にしたのではなかろうか。
「今日の晩は、寝られん。夜遅くまで吹く風の相手をせにゃならん。そう思うて、ひょいと上を見たら、空にはまあるいお月さんがひとつ、しらじらと光っとった。わいらのことなんか、なーんも気にしてないわてなふうに光っとった。ほんま、地べたに這いつくばって暮らしていくのってしんどいわ。」という話が聞こえそうである。
都会の下町の、元気でセンチメンタルなお兄さんの、威勢のいい啖呵。
そんなイメージをこの句に感じるのは、それこそ「威勢のいい啖呵」なのか。
突然の思いつきだが、これは凡兆のけんか腰?
「いつでも相手になってやるぜ、空にはお月さんひとつや。」という凡兆の啖呵?
この句も、「まねきまねきあふごの先の薄かな」と同様、「猿蓑集 巻之三 秋」に収められている。
もしこの句が、私のけったいな空想通り「けんかの句」なら、「吹風」とは何(誰)を示しているのだろうか。
凡兆は、元禄元年頃から急速に芭蕉に接近。
芭蕉によって、去来とともに蕉門の一大俳諧集「猿蓑」の編集を任される。
「猿蓑」には蕉門中最多の、42句の凡兆の句が収録。
蕉門に加わって間もない凡兆が、芭蕉によって「猿蓑」編集者として異例の抜擢を受け。
「猿蓑」の俳諧師としては、量・質ともに第一人者となった凡兆。
凡兆の急速な「出世」に、蕉門のなかで風当たりが強かったであろうことは容易に想像できる。
「猿蓑」以後、どんどん蕉風から離れていった凡兆。
その気風(きっぷ)が、この句にあらわれているのかもしれない。
京都市中を吹き荒れる風と、凡兆に吹きあたる風。
そんな二重のイメージを、私はこの句に感じている。
空には、俳諧という「月ひとつ」。
それと、もうひとつ。
この句のシーンを夕暮れ時と想定すると。
午後から吹き荒れていた風が、夕刻には一層強くなった。
ちょうどそのとき、暮れかかった東の空から白い月が顔を出した。
まるで、西から吹いてくる風の、相手になってやると言わんばかりに。
これが、多くの読者が、掲句に対して抱くイメージかもしれない。
しかし、私としては、「凡兆のけんか腰」も捨てがたい。
■野沢凡兆の俳諧のページへ
地上の風には動じもしない月が、風に巻き込まれている市中の人々の暮らしを、淡々と見下ろしているような。
そんな月明かり。
風は、月を相手に吹いているのではない。
京の都を襲っているのだ。
「市中は物のにほひや夏の月」で、蒸し暑い京の街を見下ろしていた月。
その月が秋には、物騒がせな風の相手を強制されている市中の暮らしを見下ろしている。
地上の喧騒と天空の静寂。
凡兆はそんな対比を句にしたのではなかろうか。
「今日の晩は、寝られん。夜遅くまで吹く風の相手をせにゃならん。そう思うて、ひょいと上を見たら、空にはまあるいお月さんがひとつ、しらじらと光っとった。わいらのことなんか、なーんも気にしてないわてなふうに光っとった。ほんま、地べたに這いつくばって暮らしていくのってしんどいわ。」という話が聞こえそうである。
都会の下町の、元気でセンチメンタルなお兄さんの、威勢のいい啖呵。
そんなイメージをこの句に感じるのは、それこそ「威勢のいい啖呵」なのか。
突然の思いつきだが、これは凡兆のけんか腰?
「いつでも相手になってやるぜ、空にはお月さんひとつや。」という凡兆の啖呵?
この句も、「まねきまねきあふごの先の薄かな」と同様、「猿蓑集 巻之三 秋」に収められている。
もしこの句が、私のけったいな空想通り「けんかの句」なら、「吹風」とは何(誰)を示しているのだろうか。
凡兆は、元禄元年頃から急速に芭蕉に接近。
芭蕉によって、去来とともに蕉門の一大俳諧集「猿蓑」の編集を任される。
「猿蓑」には蕉門中最多の、42句の凡兆の句が収録。
蕉門に加わって間もない凡兆が、芭蕉によって「猿蓑」編集者として異例の抜擢を受け。
「猿蓑」の俳諧師としては、量・質ともに第一人者となった凡兆。
凡兆の急速な「出世」に、蕉門のなかで風当たりが強かったであろうことは容易に想像できる。
「猿蓑」以後、どんどん蕉風から離れていった凡兆。
その気風(きっぷ)が、この句にあらわれているのかもしれない。
京都市中を吹き荒れる風と、凡兆に吹きあたる風。
そんな二重のイメージを、私はこの句に感じている。
空には、俳諧という「月ひとつ」。
それと、もうひとつ。
この句のシーンを夕暮れ時と想定すると。
午後から吹き荒れていた風が、夕刻には一層強くなった。
ちょうどそのとき、暮れかかった東の空から白い月が顔を出した。
まるで、西から吹いてくる風の、相手になってやると言わんばかりに。
これが、多くの読者が、掲句に対して抱くイメージかもしれない。
しかし、私としては、「凡兆のけんか腰」も捨てがたい。
■野沢凡兆の俳諧のページへ