芭蕉句の二面性「明日の日をいかが暮らさん花の山」
前回、芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」の句で、私が感じた「二面性」についてちょっと書いた。
- 「上野か浅草か」という掛声のように畳み掛ける威勢の良さ。
- 病床に臥せっていて、「上野か浅草か」と問い掛ける弱々しさ。
不思議なことに、「花の雲・・・・」の句に上記のような正反対の二面を感じたのである。
そう感じさせる仕掛けは、この句のどこにも見当たらないのだが・・・。
もっと整理して考えてみると、その「二面性」は以下のようになるのではあるまいか。
- 江戸の庶民が花見に出かける「行い」。
- 臥せっていながら遠い存在を望む「思い」。
これらは下記のようにも受け取れる。
- その場での実際の「行動」。
- その情景に対する「思念(空想)」。
この句から七年経って作られた芭蕉の「花の句」にも、私はこの「二面性」を感じている。
明日の日をいかが暮らさん花の山
松尾芭蕉
元禄七年三月二日、『依水ら四、五人同伴で上野の花見に赴き、酔余、「野々宮」「熊坂」を謡い、且つ句あり』と「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」にある。
芭蕉晩年の句である。
芭蕉はこの年の、十月十二日に病没している。
芭蕉一行が上野で、酒を飲み、「謡曲」を謡い、また花見の句会を行ったときの発句と思われる。
桜の花を題材にすることは、とても庶民的なことであり、また伝統的なことでもある。
芭蕉はこの「庶民性」と「伝統性」を、句のなかに取り合わせようとしたのではあるまいか。
「庶民性」とは、「花」の下で浮かれ遊ぶ庶民の「現実」のこと。
「伝統性」とは、以下に引用した「古今和歌集・仮名序(かなじょ)」にあるような「古典」としての「歌論」のこと。
それが、「明日の日をいかが暮らさん花の山」の句に込められているように私は感じている。
そして、このことと芭蕉が晩年に見出したと言われている「軽み」のこととが、どうつながっていくのか。
こんなことを書いたのなら、私は「古典の歌論」に対する「芭蕉の詩論」のことなどを述べなければならないのだろうが、それはトーシロ故の力不足ということで、お許しいただきたい。
元禄七年三月二日、『依水ら四、五人同伴で上野の花見に赴き、酔余、「野々宮」「熊坂」を謡い、且つ句あり』と「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」にある。
芭蕉晩年の句である。
芭蕉はこの年の、十月十二日に病没している。
芭蕉一行が上野で、酒を飲み、「謡曲」を謡い、また花見の句会を行ったときの発句と思われる。
- 桜が咲き誇っている「花の山」で、この華やかな饗宴をずっと続けたい。今日も明日も、「花」がある限り、「花」の世界で浮かれて暮らしたいという刹那的な衝動。
- この花が散ってしまったら、明日からの侘しい日々をどうやって暮らしていこうかという虚脱感。
- は、庶民の行動の一面を示しているように思われる。
- は、風流人の思念の一面を示しているように思われる。
さらに言えば。
- は、その時々を精一杯楽しもうという庶民の現実である。
- は、花鳥風月を題材として追い求めてきた日本の文芸の伝統である。
芭蕉はこの「庶民性」と「伝統性」を、句のなかに取り合わせようとしたのではあるまいか。
「庶民性」とは、「花」の下で浮かれ遊ぶ庶民の「現実」のこと。
「伝統性」とは、以下に引用した「古今和歌集・仮名序(かなじょ)」にあるような「古典」としての「歌論」のこと。
「現実」と「古典」の「二物衝撃」。「やまと歌は、人の心を種として、万(よろづ)の言の葉とぞ成りにける。世中に在る人、事、業(わざ)、繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの、聞くものに付けて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙(かはづ)の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか、歌を詠まざりける。」
それが、「明日の日をいかが暮らさん花の山」の句に込められているように私は感じている。
そして、このことと芭蕉が晩年に見出したと言われている「軽み」のこととが、どうつながっていくのか。
こんなことを書いたのなら、私は「古典の歌論」に対する「芭蕉の詩論」のことなどを述べなければならないのだろうが、それはトーシロ故の力不足ということで、お許しいただきたい。