公園で鳩に餌をやる女性

鳥にエサをやる女性。
鳥に餌を撒いている女性。

なぜか、コソコソ餌やり

愛犬の散歩中に、公園でドバトに餌をやっている女性を見かけた。
左手に持ったバッグからパンくずのようなものを取り出し、右手でそっと地面に撒いている。

二三歩あるいては餌を撒き、また二三歩あるいては餌を撒き。
10メートルぐらいの区間でそんな仕草を繰り返す。
餌を撒き終えたあとは、振り向いてハトの様子を眺めることもなく、足早に去って行った。
まるで、誰かに咎められるのを避けてでもいるみたいに。

女性のまわりに群がっているのは30羽ぐらいのドバトと6~8羽のカラス。
それにスズメが10数羽ほど。
私と愛犬がその場所に近づいたら、鳥たちは私たちを取り囲むように飛び上がって乱舞した。
ちょっと怖かった。

女性が人目を気にしながらハトに餌をやっているのは、多少負い目を感じているからだろう。
あるいは、ハトに餌を与えていることを理由に「迫害」を受けることを恐れているのか。

餌やりに対する批難

犬を連れて散歩していると、犬を怖がる人たちとたまにすれ違うことがある。
それと同じように、世の中にはドバトやカラスを怖がる人たちが少なからずいらっしゃる。
そういう人たちが、鳥に餌をやる女性に批難の目を向ける。
なかには、女性に注意する人もいるかもしれない。
ハトやカラスが食べ物を求めて子どもに襲いかかるようになったらどうするの、とか。

餌を与えるのは、動物に対する自身の愛情からと思っている女性。
なので、女性の方は非難の目や注意を「迫害」と受け止めてしまう。

鳥に餌をやる女性に批難の目を向けるのは、鳥を怖がる人たちばかりではない。
ドバトやカラスを嫌う人たち。
鳥の糞で公園が汚れるのを嫌がる公園の散歩者たち。
糞害の影響を受ける公園近隣の住民たち。
鳥インフルエンザの「感染」を極端に懸念する人たち。
そういう人たちの視線を気にしながらも、女性は鳥に餌を与えることをやめない。
ハトだけではなく、野良猫や野良犬に食べ物を与える方たちは日本全国にいらっしゃる。
鳥や野良猫に食べ物を与える人たちの中には、「私が食べ物をやらないと、この子たちが生きていけないのよ。」と思っている方もいるようだ。

弱い生き物に対する「憐憫の情」が、「餌やり」の動機になっている。
そういう「憐憫の情」を、食べ物を与える人間の自己満足感の裏返しだと批判する人もいる。
自分がこの者たちを支配しているのだという高慢心を満たすための「餌やり」なのだと批判する人もいる。

餌を与える女性の事情

「餌やり」の女性にとっては、公園のハトやスズメが生きがいであるかもしれない。
小動物に癒やされながら精一杯生きている女性もいらっしゃることだろう。
そのなかには、持病に苦しんでいる方もいるかもしれない。
日々の苦しみのなかで、鳩に餌をやることが唯一の救いとなっている。
そういう女性の行動を非難して良いものか、とか。
たかだか「餌やり」ぐらいで、その女性の生き方を否定してはいけない、とか。
「餌やり」ぐらいかまわないじゃないかという意見の持ち主も多い。

野生動物に餌を与えてはいけない

しかし、糞害が発生しなくても、「餌やり」を非難する人がいなくても、「餌やり」が女性の生きがいであっても、野生動物に食べ物を与えてはいけない。

それは、愛犬を連れて長年公園を散歩していればわかる。
飼犬の、動物としての不自由さ。
飼犬は、飼い主から食べ物と住む場所を提供されなければ、その多くは生きていけない動物である。
飼犬は、人間とのそういう共存関係に閉じ込められて暮らしている生き物。

ドバトやカラスやスズメは、飼犬とは違う。
彼らは、野に生きているからこそ人間との共存関係を保っているのだと私は思っている。
野に生きている動物は、人間が食べ物を与えなくても生きていける。
自身でものを考え、自身の判断力を頼りに生きている。
それだけの能力を身につけているから、飼犬と違って平然と自由に野で生きていける。

野生能力を殺す行為

人間が野生動物に食べ物を与えることは、野生動物が身につけている能力や暮らしの自由を奪うことになるのではないだろうか。
人間の与える食べ物に、いつのまにか「飼犬」のように拘束されてしまう野生動物。
結局は、人間に依存することで野生を失っていくことになる。

野生動物と人間との共存関係

野生動物と人間との共存関係とは何か。
それは、自身の力で食べ物を得て生きている野生動物を、人間が見守るという関係ではなかろうか。
そういう野生動物の姿から、勇気をもらう。
元気をもらう。
それが、野鳥から癒されるということ。

まとめ

だから、そこのおばちゃんよ、公園で鳩に餌をやらないでくれ。
私は、カラスが苦手で、鳩は嫌いだ。

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