あきのたのかりほのいほのとまをあらみわがころもではつゆにぬれつつ

 峠から見下ろすと、その町は真っ白な雪野原のように見えた。長々と一筋の川が入り江まで続いている。
 山から町へ下りる道は険しい。小さな扇状地の背後には、急峻な山が屏風のように立ち並んでいる。谷底に開けた平地に、小さな町が広がっていた。

 山道を下るにしたがって、雪をのせた無数の屋根が姿を現し始める。さらに下ると、屋根の下に板壁や窓が見えてくる。
 家々の隙間から紺色の穏やかな入り海が見えた。
「おとう、家のすぐそばに海があるよ。」
 防寒頭巾をかぶり襟巻きで覆面をした男の子が、興奮ぎみに言った。目をきらきら輝かせ、襟巻き越しに息を弾ませている。
「ここに、こんな町があるなんて・・・。まるで、落ち武者でも隠れ住んでいるみたいな町だぜ。」
 樵は、長く降り続いた後の雪の晴れ間に、子どもを連れて山を下った。この町は、ひと月ほど前に、狩りの途中で見つけたのだった。

 年の瀬市を見物している間に、刃を研いでもらおうと、樵は大きな斧を持参していた。
 鍛冶屋の小屋は、板壁や板戸に鉄の錆が染み込んでいて、赤茶けているからすぐに分かる。海辺の方にあったその鍛冶屋は、戸口の雪も赤茶色で、町のどの家よりも荒れた感じがした。樵は赤茶色の雪を踏んで、小屋の入口の筵を払った。暗がりの中で、鉄錆の匂いが鼻を突いた。襟巻きを首まで下ろした樵の小童が、「うへっ」と顔をしかめる。
 樵は、暗さに目が慣れるまで戸口で立ち止まった。小屋の奥に目を凝らすと、大男の鍛冶屋が汗だくになって大鎚を振り下ろしている。筋肉で盛り上がった肩の上で、白い湯気が揺れていた。
 鍛冶屋は、変わった形の鋤を叩いていた。
 鍛冶屋が手を止めたときに、樵が口を開いた。
「ずいぶんと変わった鋤だな。」
「これが鋤に見えるのか、どこのあほうだ!舟の櫓だろうが!」
 侵入者を確かめるような顔つきで、鍛冶屋が怒鳴った。
「へっへえ、鉄の櫓なんてめずらしいや。こんなもの、何に使うんだい。」
 よそ者に対するケチな敵意を嘲笑いながら、樵が毒づいた。
「舟を漕ぐにきまってるだろうが!」

 鍛冶屋は、己の威嚇に物怖じしない侵入者を、どうしてやろうかと思案気に睨みつけた。
「その櫓で舟を漕いで、その櫓で船に斬り込もうって算段かい。粋な道具を作るじゃねえか。」
 樵は、にやにやと不敵に笑い続けている。
「てめえ、何しに来やがった!」
 鍛冶屋が、樵の斧に目をやりながら言った。
「こいつを研いでもらいたくってよ。」
 そう言って樵は、鍛冶屋の足元に斧を放り投げた。
 斧の刃が、鍛冶屋のくるぶし近くの土間にグサリと突き刺さる。
「けっ、今忙しいんだよ!」
 鍛冶屋は平然と鉄を打ち続けている。
「きゃっはははは!」
 突然、甲高い女の笑い声がした。樵は薄暗い土間の隅に目をやった。はじめ、樵には襤褸の塊のように見えていたのだったが、目を凝らしてよく見ると、鍛冶屋の女房らしき女だった。座り込んだ女の前で、鍋がぐつぐつと音をたてて煮だっている。
「変な匂いだな。おい、女。おまえはいったい何を煮ているんだい?」
 樵が女の方へ近づこうとしたとき、「おい、このなまくらは、研ぐのに十日ばかりかかるぜ!」と鍛冶屋が樵を制した。
「なに、十日もかい!年が明けちまうだろ!」樵は、振り返って鍛冶屋を見た。ようやく真正面に、目と目が合った。暗がりのなかで、今にも火花が散りそうだった。
「仮斧を貸してやらあ!」
 今度は、鍛冶屋が樵の足元に斧を放り投げた。
 
 「うひゃー」と飛び退く樵のせがれ。ぶんぶん柄を回転させながら向かってくる仮斧。その柄が、土間の石塊に当って弾ける。
 柄の折れる音とともに、錆びた鉄粉の埃が舞い上がった。ぼろ雑巾のような袖で鍋を覆いながら、咳き込む女房。
「おい、他に空いている仮斧はねえのかよ。空きの他の仮斧がよ、もっといい斧がよ!」
 樵は、砥石を並べて置いてある奥の砥間(とま)を荒々しく見ながら言った。
「いい斧がほしいんだよ!い斧を貸せよ!」怒鳴った勢いで言葉が詰まった。「いい斧」と言うべきところを「い斧」と言ってしまったのだ。
 それが可笑しかったのか女が笑った。
「空きの他の仮斧い斧砥間を荒見だとさ、きゃっはははは・・・・」
 女は戯れ文句を、経を唱えるように口走り、大きな声をあげて笑った。
 ―こんな馬鹿でかい声を出して笑う女は、山にはいない。きっと潮風に喉をさらしながら暮らしているせいなのだろう。それとも女ながらに虚勢を張っているのか。
 樵の男はそう思いながら、女と鍛冶屋の二人の動きを目で追った。女は女で、子連れの侵入者を不審そうに見つめながら、なにやら念仏のような文句を小声でつぶやいている。

 さっきから鍛冶屋の様子をじっと横目で見ていた樵のせがれ。その小童が大男のすきをついて、素早い身のこなしで櫓を奪い持った。小童は、「へっへっ」と得意そうに、奪った櫓を長刀のように構えてみせる。呆然と立っていた鍛冶屋の顔が、みるみる鬼の形相に変わっていく。
「でかしたぞ、せがれ!」
 親父の樵が、思わず声をあげた。
「我が子櫓持ては、ひぇひぇひぇ・・・」
 また戯れ文句を唱えた後、女は怯えたような顔つきで、力無くかすれ声をあげた。
「けっ、いまいましい小童め!」
 鍛冶屋が、懐に忍ばせていた短筒を取り出し、炉の炭火で火縄に火をつけた。その短筒の先を、脅すようにゆっくりと子どもの方に向けた。
 樵は、腰に付けた山刀を抜いて鍛冶屋の腕を切り落とすことも出来たが、鍛冶屋が本気で子どもを撃つことはあるまいと、それを思いとどまった。だが、脅しのつもりでも、我が子に短筒を向けるのは我慢がならない。
「ええい、畜生め!」
 樵が叫んで鍛冶屋の女房に駆け寄った。驚いて、尻もちをつく女房。その女の前にある鉄鍋を奪い、樵はつゆ煮を鍛冶屋に浴びせかけた。
「おっ、熱っー。」
 声を上げる大男。四散する煮物。
 くたびれた菜っ葉やら、何かの肉やら、臓物やら。煮物と鉄錆の匂いが混じって、あたりに異様な臭気が漂った。樵は手で鼻をおおいながら、鍛冶屋の手元を見た。短筒の火縄は、つゆ煮に濡れて消えていた。
「つゆ煮濡れ筒。」
 土間に散らばった鍋の中味を拾い集めながら、女がぽつりとつぶやいた。

 女は、外に積もった雪を土器に盛って、その雪で野菜や肉に付いた埃をこすり落とした。それできれいになったものを、鍋の中に放り混んでいる。また鍋が音をたてて煮だち始めた。静まりかえった小屋の中で鍋の煮だる音を、一同は聞くともなしに聞いている。食べ物を煮る音が、一同の緊張をほぐした。
 薄暗い小屋の中で、炉のあかりに照らされながら、それぞれが影絵のようにじっと立ちつくしている。ようやく腕の力みが抜けていくのを、樵は感じた。

 突然の訪問者との、疑心に駆られた戦いだった。戦いに敗れた鍛冶屋は、その場で斧を研いで仕上げることを樵に約束した。
「そんな手でまともな仕事ができるのかい。」
 樵が鍛冶屋のやけどした右手を指さしながら、悪態をついた。
「なあに、腕を切り落とされたわけじゃねえからな。こんななまくらを研ぐぐらい、たやすい仕事さ。」
 穏やかな顔つきで鍛冶屋が言い返した。
 女は、男の手のやけどを雪で冷やしながら、戯れ文句を唱え、柄にもなく上品な笑い声をあげた。
「空きの他の仮斧い斧砥間を荒見我が子櫓持てはつゆ煮濡れ筒、ほほほほ・・・」
 女の声が、先ほどの馬鹿でかい声とは違って、安堵に満ちているように樵には聞こえた。

 親子は戸口の筵を払って外へ出た。陽の光がまぶしかった。青い空から小雪が舞っている。
「そうだ、おかあに新しい綿入れでも買って帰るか。」
すでに殺気の消えた顔で、機嫌良さそうに樵の親父が言った。
「おれは、橇がほしいだよ。」
 嬉しそうに息子がはしゃいでいる。
「橇ぐらい、わしがこさえてやるさ。」
「おとう、猿回しが見たいよ。」
「ばか、猿回しは正月が来てからだ。」
 樵と子どもは、年の瀬の賑わいを見に町の広場へと向かった。

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