ちはやぶるかみよもきかずたつたがはからくれなゐにみづくくるとは

頭頂部から後頭部にかけて、髪が薄くなってきた。
後頭部から首の後ろ側のあたりが特に薄い。
このまま進行すれば、完全に禿げてしまう。
まるで逆モヒカンハゲ。

これでは丁髷も結えない。
まだ若い貞七の悩みは深刻だった。
貞七の女房は髪結いである。
このままでは髪結いの亭主としてのカッコがつかない。
貞七は思い切って、漢方の医術に長けているという評判の町医者を訪ねた。

「破血」
坊主頭の老医師は静かにそう言った。
「え?はけつ?」と貞七。
「血の巡りを良くする中国伝統の医術でな、日本では『血を破る』とも言っておる。」
「血の巡りを改善すれば、薄毛の進行は防げるはず。」
そう言って老医師は貞七に「活血化瘀剤(かっけつかおざい)」という薬を手渡した。

「活血化瘀剤」の成分は丹参(タンジン)、芍薬(シャクヤク)、川芎(センキュウ)、紅花(コウカ)などである。
貞七は、この飲み薬を半年ほど続けたが、薄毛が治る気配はみられない。
髪は夜寝ている間に伸びると坊主頭の町医者が話していた。
老医師は、晩に毛が生えるので、朝になるたびに頭を剃っているという話。
貞七にとってはうらやましいかぎりである。
だが、貞七が朝に自分の枕元を見ると、不幸なことに抜けた髪の毛が散乱している。

一方、貞七の血色は、この半年間でみるみる良くなっていた。
「破血」の治療効果は、実感できるほど明らかだった。
「血を破る」の言葉通り。
「滞っている血は、確実に破っている!」
血は破っていると実感している貞七。
でも、夜に伸びる筈の髪には効果が及んでいない。
貞七は「血は破る髪夜も効かず・・・・」と唸った。

合わせ鏡を何度も覗き込みながら、後頭部を調べる貞七。
そんなことを繰り返しているうちに貞七はあることに気がついた。
頭頂部から首の後までの髪は薄くなっているが、側頭部は立ち上がるばかりに伸びている。
まるで「鉄腕アトム」に登場する「お茶の水博士」の側頭部みたい。
「血は破る髪夜も効かず立った側・・・・」と貞七は目を見張った。

女房は、髪のことで右往左往している貞七を見て、小言を言う。
「そんな高い薬にばっかりに銭を使ってないで、少しは辛いものを控えたらどうなのさ!」
そう、貞七は無類の辛い物好き。
何にでも粉唐辛子をまぶして食べる。
女房は、貞七が刺激物ばっかり好むので髪が薄くなると思っている。
長年の髪結いの勘である。

今まで朝昼晩の食事に辛い物を食べていた貞七に、女房は、もう辛い物を出さなくなった。
「えっ、もう辛い物くれないの?」
「辛くれない!」と嘆く貞七。

そんな貞七を女房は、知らん振り。
「さあ、おまえさんの髷も直してやるよ。」と貞七の頭を掴んで座らせる。
立ち上がるように伸びた側頭部の髪をぐいぐい後ろ側に引っ張る。
その髪を、Uターンさせて、後頭部から頭頂部に持ってくる。

やはり丁髷は、後頭部の髪を寄せ集めないとバランスが悪い。
そんなバランスも見ないで、女房は手早く仕事を進める。
貞七の後頭部には、もう結える髪の毛は無いに等しい。
それで、側頭部の髪を引っ張って括る。
バランスも見ずに。

そんな女房の扱いぶりに、貞七はハラハラ。
「ちゃんと髪の具合を見て括ってくれよ。」
と頼んでも、女房は貞七の言うことを無視。
客が混んでいるのに、亭主の丁髷にばかり手間をかけてはいられない。
「ああ、髪の具合も見ず括るとは」と貞七はつぶやいた。

「血は破る髪夜も効かず立つた側辛くれ無いに見づ括るとは」
落胆する貞七の嘆きだった。

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