心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮

「国定忠治・赤城山」での頑鉄の台詞

「ああ、雁が鳴いて 南の空へ飛んで往かあ!」
という赤城山での台詞を、私は国定忠治のものと長い間思っていた。
ところが、実際は忠治の子分の清水頑鉄の台詞だった。
「国定忠治・赤城山」のあらすじを何かの本で読んだときに、その勘違いに気付かされた。

頑鉄は、役人に包囲されているピンチな状況のなかで、南の空へ飛んでいく雁の姿に感動したのである。
自分も雁のように空へ飛び立って、このピンチを切り抜けたいと切望した。
そう願いつつ、月に照らされて夜空を飛んで行く雁の姿に感動したのだ。

私は、新古今和歌集に収録されている西行の次の歌に接するとき、この赤城山の場面を思い起こすことがある。

心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮
西行

頑鉄の感動

「西行の歌に、新国劇の任侠物芝居を持ち出すなんて!」
研究熱心な国文学ファンの方に叱られそうである。
トウシロのくせに、格調高い西行の歌を大衆演劇と一緒にするなんてケシカラン、と。

だが、忠治の子分の頑鉄は、鳴いて飛んでいく雁に、「あはれは知られけり」だったのだと私は思っている。
頑鉄は、自分の身の上を「心なき身」と感じていたのかもしれない。

沈みかけた名月に映ったのは、夜を通して飛ぶ渡りの雁の姿。
それを眺めて頑鉄は、「こんなヤクザな俺でも、自ずと感動できる心があったのだなぁ」と思い、しみじみと感じ入る。
もしかしたら自身の感動している姿に、自身が驚いているのかもしれない。

こういう劇のシーンを描いた作者は、人間の詠嘆を自然の情景で表現する「短歌的な抒情」という日本の伝統美を、踏まえていたに違いない。
観客は、日本人の感性に染み込んだ「短歌的な抒情」に喝采をおくる。
頑鉄の心情に一体感を覚えるのである。

「心なき」の意味

西行の歌にある「心なき」を岩波古語辞典で調べてみた。

こころなし(心無し)【形ク】
  1. 思いやりの心がない。無情である。
  2. 思慮がない。不注意である。非常識だ。
  3. 情趣を解さない。
  4. 物心がつかない。無心である。
「心なき身にも」は「思いやりの心がない無情な私でも」という意味であると私は感じている。
西行のどのへんが、「心なき身」なのだろうか。
追いすがる妻子を縁側から蹴落として出家したという西行の伝説の虚実は私には不明だが、西行の心情の比喩としては合っているのではないだろうか。

西行の出家

鳥羽天皇に「北面の武士」として仕えていた西行(佐藤義清)が、二十三歳のときに突然出家する。
出家後は、気に入った場所に草庵をいとなみつつ、諸国を巡る漂泊の旅に出る。
家庭から解放された心情と、家庭を見捨てた苦しい心情。
それが西行の「こころなき身にも」であると私は感じている。

西行の歌の「こころなき身にも」を、インターネットのWeblio古語辞典で調べると、「 情趣を解さない、出家のわたしの身にも」と出ている。
たぶん、出家した西行の歌だから「 情趣を解さない、出家のわたしの身にも」という「解釈」なのだろう。
この歌に関するネットの記事を読んでも、こういう「解釈」が多い。
しかし私は、「こんな薄情な私でも」というストレートなイメージを抱いている。

「あはれ」の意味

「知られけり」の「れ」は自発の助動詞「る」の連用形。
「けり」は、岩波古語辞典では、「助動詞の連用形を承ける。」とある。
その意味は「そういう事態なんだと気がついた」ということ。
「気づいていないこと、記憶にないことが目前に現れたり、あるいは耳に入ったときに感じる、一種の驚きをこめて表現する場合が少なくない。」とある。
「あはれ」は、「しみじみと湧き上がってくる気持ち」と解されることも多いようだ。
だが私は、「あはれ」を「寂しさ・悲しさ・哀愁」という現代語に近い意味合いで読んだ。

西行の旅立ちの歌?

この歌がいつ頃の作かは、私には不明である。
だが、「心なき身にも」を「こんな薄情な私でも」という意味合いで読み、「あはれ」を「寂しさ・悲しさ・哀愁」という意味合いで読んでいたら、この歌は西行の旅立ちの歌なのかもしれないと思うようになった。

それは、「家族を捨てて出家できるのは、己が薄情者であるからこそと思っていたのだが、いざ旅に出てみると、こんなに悲しい気持ちが湧いてくるなんて・・・」というイメージを「心なき身にもあはれは知られけり」の句に感じたからである。

夕暮れに染まる秋の沼沢地で、そんな思いに浸っていたら、群生するススキの陰から鴫の群れが一斉に飛び立った。
西行は、この飛び立った鴫の群れに感動したのだろうか。
いや、飛び立った鴫は、西行が作った旅立ちの舞台の背景であるのだろう。

もしかしたら西行は、自身に憐憫の情があることに驚いたのではないだろうか。
そうして、西行はそういう自身に感動しているのだ。
その感動の旅立ちの舞台には、背景としてドラマチックな「鴫立つ沢の秋の夕暮」が必要だった。

あたかも頑鉄が、観客に感動を与える場面に、月に照らされて夜空を飛んで行く雁の姿が必要であるように。

芭蕉の旅立ちの句と比べる

この西行の歌を、出家の後の旅立ちの歌であると仮定したら、以下のような思いに辿り着いた。
西行が「劇的」に旅立ってから約五百四十年後に、西行を敬慕する松尾芭蕉もまた「野ざらしを心に風のしむ身哉」と「劇的」な旅立ちの句を詠んだ。
この芭蕉の句は、西行の旅立ちの歌の投影であるように私は感じている。

両者を比べてみると面白い。
なきにもあはれは知られけり」と「に風のしむ哉」は、ともに内省的な雰囲気を漂わせている精神的な詩である。
そして西行の「なき」とは、「に風のしむ」でもあるのではないだろうか。

その「心」の背景に西行は、「鴫立つ沢の秋の夕暮」と抒情的な夕景色を配した。
それにたいして芭蕉は、旅での自身の死の予感を、「野ざらし」という言葉に象徴し、それを自らの「心」の風景とした。

さらに出家する前の西行の「身」は、北面の武士という安定した身分であった。
一方、「野晒紀行」の旅に出る前の芭蕉の「身」は、蕉門とともに自身の存在感が世間に大きくクローズアップしつつある身分であった。
西行も芭蕉も、ある程度安定した生活を捨てて、精神性の高い詩作の旅に出たのである。

西行の歌に「赤城山」を思い浮かべた所以

ただ、芭蕉の旅立ちの句が象徴的であるのに比して、西行の歌にある抒情的な哀感は、大衆にとって受け入れやすいもののように思える。
それが、この歌が人口に膾炙している理由かもしれない。

「野ざらし」という不吉な言葉を用いた芭蕉の句は、当時としては前衛的であり実験的なものであったに違いない。
こういう句を発して旅立った芭蕉の冒険的な「心」は、センチメンタルな潔さをもった西行の「心」をどう評していたのだろう。

ともあれ、私もまた「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」の歌のカッコ良さにしびれているひとりなのだ。
この歌に「国定忠治・赤城山」を連想したのは、日本人好みのセンチメンタルな潔さのせいなのかもしれない。

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