十六夜や海老煮るほどの宵の闇
いざよい
多くの人が一度は聞いたことのある言葉だが、現代ではあまり使われない言葉に「いざよい」がある。
「いざよい」を漢字で書くと「猶予い」となり、「猶予い」は躊躇するとか、ためらうという意味の動詞「いざよう」の連用形もしくは名詞。
また、「いざよい」には、度々「十六夜」という漢字が当てられる。
そう、「いざよい」は「十六夜(いざよい)の月」としてよく知られた言葉なのである。
「猶予い」は知らないが「十六夜(いざよい)の月」なら聞いたことがあるよという方は多いはず。
「十六夜(じゅうろくや)」は仲秋の名月の夜である「十五夜」の次の夜。
八月十五日の次の夜のことで、八月十六日の夜である。
月の出の時刻は、一日で45~50分ぐらい遅くなるとされている。
「十六夜」の月は「十五夜」よりも45~50分ぐらい遅れて出る。
風流人はその遅れを、月がためらいながら出ていると感じて「猶予いの月=十六夜の月」と言い表した。
海老煮るほどの時間
芭蕉は、その45~50分ぐらいの間を、「海老煮るほど」と句に詠んだ。
十六夜(いざよい)や海老煮るほどの宵の闇
松尾芭蕉
元禄四年八月十六日、芭蕉四十八歳のときの作である。
「おくのほそ道」の旅を岐阜の大垣で終えて、上方漂泊中に滋賀の堅田で詠んだ発句。
前の晩の八月十五日は、木曾塚の無名庵で月見の会を催した。
十六日は「人々と共に舟で堅田に渡り、竹内成秀亭に遊ぶ」と「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」にある。
この「十六夜」は、前夜にも増して盛況だったので、芭蕉はその様子を「堅田十六夜の弁」と題した俳文にして亭の主である竹内成秀に贈っている。
堅田での十六夜の盛上がり
江戸時代には、小さな食材として人気があったという。
一年前の元禄三年の九月に、芭蕉は堅田で「海士の屋は小海老にまじるいとど哉」という句を詠んでいる。
小さな海老であるから、あっという間に茹で上がる。
「十六夜の月」が「猶予う」ほどの45~50分もかからない。
竹内成秀亭での盛り上がりは、45~50分を「海老煮るほど」の一瞬に感じさせるほど芭蕉にとって楽しいものだったのだろう。
近江への愛着
堅田での「十六夜」の賑わいを、堅田名物の「海老」を登場させて句に詠む。
そつが無い芭蕉の、近江の人々に対する配慮である。
そつが無い芭蕉の、近江の人々に対する配慮である。
しかも「宵の闇」の存在感と「十六夜の月の輝き」を対比させている。
「海老煮るほどの宵の闇」が過ぎて、煌々と輝く「十六夜の月」が姿を現す。
その月が、琵琶湖の湖面を美しく照らして、湖上に突き出た満月寺浮御堂の陰影を深くする。
一座の喝采が目に見えるようである。
「海老煮るほどの宵の闇」が過ぎて、煌々と輝く「十六夜の月」が姿を現す。
その月が、琵琶湖の湖面を美しく照らして、湖上に突き出た満月寺浮御堂の陰影を深くする。
一座の喝采が目に見えるようである。
この句もまた、前回の「行く春を近江の人と惜しみけり」同様、芭蕉の近江に対する愛着が感じられる句であると思う。
なお、「笈日記」には掲句が、芭蕉の「十六夜三句」の一句として所収されているという。
※「笈日記」:門人の各務支考が編集した俳書のこと。東海・近畿の蕉門の発句700余句が所収されている。芭蕉の遺吟・遺文なども掲載されており、芭蕉臨終の前後が日記風に詳しく記されている。