行く春を近江の人と惜しみける
地名には、その土地の情緒が染み込んでいる
地名は、その土地に備わった情緒を象徴している。京都と聞けば、京都の古い歴史とか文化とか町並みとか京都人の気質とか、様々なイメージが思い浮かんで広がる。
それは津軽とか松前とか会津とかでも同様である。
それぞれの土地の風光がそれぞれの地名を輝かせている。
さらに、それぞれの土地で育まれた文化は、それぞれの地名に微妙な響きを与えている。そこで暮らしている人々の特徴的な習慣は、それぞれの地名を色づけて際立たせている。
地名論
去年の四月に亡くなった大岡信(おおおかまこと)さんの詩に「地名論」というのがあった。「地名論」は1968年刊行の「大岡信詩集(思潮社)」に収録されている。
私にはチンプンカンプンだった言葉の羅列の中で、唯一気に入った文句が、「名前は土地に波動を与える」だった。
そのすぐ後に「土地の名前はたぶん光でできている」という文句が続く。
名前が土地に波動を与えるとは、地名の意味や由来が、その空間に伝播するということなのだろう。
そうして、地名の意味や由来がその空間を照らし出して、新たな意味を探り出す。
初案と改案
行く春を近江の人と惜しみける
松尾芭蕉
元禄三年(1690年)三月下旬頃作の最初の案は「行く春や近江の人と惜しみける」だった。
前書きに「志賀辛崎に舟を浮かべて人々春を惜しみけるに」とある。
「おくのほそ道」の旅を終えた後、上方を漂泊していた頃、大津の膳所(ぜぜ)滞在中に詠んだ句とされている。
だが、元禄四年(1691年)七月三日発刊の「猿蓑」には、改案された掲句が収録された。
掲句の前書きは「望湖水惜春」となっている。
近江への愛着
貞享二年(1685年)の三月にも、芭蕉は大津で「湖水の眺望」という前書きのある辛崎の句を詠んでいる。芭蕉は、生涯のうち近江を八回訪れたとされている。
「おくのほそ道」の後の上方漂泊期には、多くの時間を近江で過ごしている。
掲句も、この時期の作である。
その期間に芭蕉は、藩士・医者・町人・豪商・住職・能役者など多彩な人達と交流する。
このことは、近江に対する芭蕉の愛着が多大なものであることを示している。
切れ字の「や」である。
「行く春や」で切って、「春」に余韻を持たせている。
「惜しみける」の「ける」は、過去をあらわす助動詞「けり」の連体形。
近江の人達とともに「行く春」を惜しんだというイメージが思い浮かぶ。
「行く春や」には、このまま春が過ぎてしまうのか、いや過ぎてほしくないなあという叶わない希望を含んだ詠嘆が込められている。
その詠嘆が、「行く春」を惜しむ気持ちを強調しているのだろう。
初案の句からは、現在進行中の過ぎていく近江の春を、その土地の人々と一緒に惜しんでいるというイメージが感じられる。
琵琶湖周辺の木々が芽生え、心を癒やす新緑が萌え、その緑色が徐々に濃くなっていく。
そういう時間の経過が織りなす景観の絵巻。
時が過ぎるにしたがって心を癒やす新緑が消えていくのを、芭蕉は近江の人々とともに惜しんだのだろう。
「行く春」は「惜しむ」という動作の対象となっている。
そのせいか、「行く春」の余韻は初案の句よりも薄くなっているようだ。
そのぶん「惜しみける」の「ける」に詠嘆が感じられる。
「行く春」を惜しんだことだなあというイメージ。
初案の句は、まさに琵琶湖に舟を浮かべて、近江の終わりつつある春を近江の門人達と惜しんでいる最中の句である。
舟は、まだ琵琶湖の春の中に浮かんでいる。
それに対して改案された句は、すでに自分たちの外にある「行く春」を、地元近江の門人たちと一緒に惜しんだという句のように思われる。
「行く春」の後ろ姿を、惜しみつつ見送ったという句なのではあるまいか。
というのは、これだけの印象の違いのために芭蕉は句を改めるだろうかと思ったからだ。
きっと存外な仕掛けがあるに違いない。
それでふたつの句を注意深く読んでいたら、あることに気がついた。
それは格助詞の「と」。
初案「行く春や近江の人と惜しみける」の「と」は動作の共同行為者としての近江の門人と芭蕉との「と」である。
それに対して改案の「行く春を近江の人と惜しみける」の「と」は、「行く春」を「近江の人」のように思って惜しんだという比喩の「と」としても読むこともできる。
「や」を「を」に替えたことによって、「と」が違う姿になる仕掛け。
僭越ながら大岡信さんのマネをすれば、「近江」という地名が句に与えた波動の形が違ってくると言うべきか。
「行く春」を、「近江の人」という人物像に重ねる。
「近江の人」とは「近江」という地名を彷彿させる「人」。
「近江」という地名から「波動」を与えられた人物像。
風光明媚で、歴史や文化に富んだ「近江」という土地の「春」を、芭蕉は「近江の人」という人物像に擬人化したのだ。
そして、その輝くばかりに魅力的な「近江の人=行く春」との別れを惜しんだのである。
「行く春」を、去っていく「近江の人」のように思って、その別れを惜しんだ。
「近江の人」とは「近江」という土地に育まれた人物イメージ。
それは「過ぎていく近江の春」のような感性でもあるのだろう。
芭蕉にとって「近江」の土地と「人」は、それほどすばらしく魅力的だったに違いない。
これは、近江の門人達への最高の「惜別の句」なのではあるまいか。
やっぱり「土地の名前はたぶん光でできている」。
芭蕉はその「光」を感じて、「近江の春」との別れを惜しんだのだろう。
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「や」と「ける」
初案の「行く春や」の「や」は、詠嘆の間投助詞。切れ字の「や」である。
「行く春や」で切って、「春」に余韻を持たせている。
「惜しみける」の「ける」は、過去をあらわす助動詞「けり」の連体形。
近江の人達とともに「行く春」を惜しんだというイメージが思い浮かぶ。
「行く春や」には、このまま春が過ぎてしまうのか、いや過ぎてほしくないなあという叶わない希望を含んだ詠嘆が込められている。
その詠嘆が、「行く春」を惜しむ気持ちを強調しているのだろう。
初案の句からは、現在進行中の過ぎていく近江の春を、その土地の人々と一緒に惜しんでいるというイメージが感じられる。
琵琶湖周辺の木々が芽生え、心を癒やす新緑が萌え、その緑色が徐々に濃くなっていく。
そういう時間の経過が織りなす景観の絵巻。
時が過ぎるにしたがって心を癒やす新緑が消えていくのを、芭蕉は近江の人々とともに惜しんだのだろう。
「を」と「ける」
それに対して改案された句には、「行く春を」の「を」という、動作の対象を示す各助詞が使われている。「行く春」は「惜しむ」という動作の対象となっている。
そのせいか、「行く春」の余韻は初案の句よりも薄くなっているようだ。
そのぶん「惜しみける」の「ける」に詠嘆が感じられる。
「行く春」を惜しんだことだなあというイメージ。
初案の句は、まさに琵琶湖に舟を浮かべて、近江の終わりつつある春を近江の門人達と惜しんでいる最中の句である。
舟は、まだ琵琶湖の春の中に浮かんでいる。
それに対して改案された句は、すでに自分たちの外にある「行く春」を、地元近江の門人たちと一緒に惜しんだという句のように思われる。
「行く春」の後ろ姿を、惜しみつつ見送ったという句なのではあるまいか。
共同行為者の「と」と比喩の「と」
語句の違いから感じられるイメージの違いは上記の通りであると思うが、いまひとつ何かが違うのではないかという憶測が消えない。というのは、これだけの印象の違いのために芭蕉は句を改めるだろうかと思ったからだ。
きっと存外な仕掛けがあるに違いない。
それでふたつの句を注意深く読んでいたら、あることに気がついた。
それは格助詞の「と」。
初案「行く春や近江の人と惜しみける」の「と」は動作の共同行為者としての近江の門人と芭蕉との「と」である。
それに対して改案の「行く春を近江の人と惜しみける」の「と」は、「行く春」を「近江の人」のように思って惜しんだという比喩の「と」としても読むこともできる。
「や」を「を」に替えたことによって、「と」が違う姿になる仕掛け。
「行く春」を擬人化
こう考えると、句から受け取るイメージはだいぶ違ってくる。僭越ながら大岡信さんのマネをすれば、「近江」という地名が句に与えた波動の形が違ってくると言うべきか。
「行く春」を、「近江の人」という人物像に重ねる。
「近江の人」とは「近江」という地名を彷彿させる「人」。
「近江」という地名から「波動」を与えられた人物像。
風光明媚で、歴史や文化に富んだ「近江」という土地の「春」を、芭蕉は「近江の人」という人物像に擬人化したのだ。
そして、その輝くばかりに魅力的な「近江の人=行く春」との別れを惜しんだのである。
「行く春」を、去っていく「近江の人」のように思って、その別れを惜しんだ。
「近江の人」とは「近江」という土地に育まれた人物イメージ。
それは「過ぎていく近江の春」のような感性でもあるのだろう。
芭蕉にとって「近江」の土地と「人」は、それほどすばらしく魅力的だったに違いない。
これは、近江の門人達への最高の「惜別の句」なのではあるまいか。
やっぱり「土地の名前はたぶん光でできている」。
芭蕉はその「光」を感じて、「近江の春」との別れを惜しんだのだろう。
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