「津軽海峡・冬景色」を、東京の「隠れご当地ソング」と思った理由
青森県外ヶ浜町三厩の竜飛岬に建っている歌謡碑 |
石川さゆりのヒット曲
「ジャジャジャジャーン」に続く独特の哀愁がこもった前奏曲。両腕の袖を広げて、舞台の上で観客に挨拶する石川さゆり。
それから、ゆっくりとマイクを胸元に近づける。
声量自慢の彼女は、堂々とマイクを構え「上野発の夜行列車・・・・」と歌い出す。
青森のご当地ソングとして有名な「津軽海峡・冬景色」。
作詞が阿久悠氏、作曲が三木たかし氏の、1977年に発売されたヒット曲である。
ラジオから流れたこの曲を久しぶりに聞いたとき、私は、かつてテレビで見た石川さゆりさんの感動的なステージを頭に思い描いた。
青森県の津軽地方で暮らしていれば、この曲に感動する方は多いはず。
ところが、私の頭にちょっとした疑問が思い浮かんだ。
この歌は、ほんとうに青森(津軽地方)のご当地ソングなのだろうか、と。
というのは、この歌には濃厚に東京のイメージが感じられるからだ。
「津軽海峡・冬景色」の歌謡碑
津軽半島の竜飛岬へ行けば、「津軽海峡・冬景色」の歌謡碑があり、赤いボタンを押すと「ごらんあれが竜飛岬・・・・」と曲の2番が流れる。JR青森駅近くの観光施設「八甲田丸」の前にも「津軽海峡・冬景色」の歌謡碑が設置されている。
こちらは自動感知センサーが備わっており、石碑の前に人が立つと突然「ジャジャジャジャーン」と前奏曲が鳴り、石川さゆりさんが歌い始める仕掛けになっている。
このふたつの歌謡碑の存在を理由に「津軽海峡・冬景色」が青森(津軽地方)のご当地ソングであるとおっしゃる方が多いのではないだろうか。
しかし、この曲の歌詞をよく聞いてみれば、この歌が青森(津軽地方)のご当地ソングで無いことはすぐに解る。
ちなみに、竜飛岬と八甲田丸の側に歌謡碑が建っているのは、「津軽海峡・冬景色」が青森(津軽地方)のご当地ソングであるからではない。
竜飛岬は津軽海峡を望むことができる観光地であり、八甲田丸はかつて津軽海峡を往来した連絡船であるからだ。
青森のご当地ソングでは無い
映画に「ロードムービー」というジャンルがあるが、「津軽海峡・冬景色」は「ロードムービー」ならぬ「ロードソング」なのである。「ロードムービー」とは、旅の途中で起こるさまざまな出来事が物語となっている映画のこと。
「津軽海峡:冬景色」は、北海道へ帰る旅の途中で、この歌謡曲に描かれている主人公(たぶん女性)が、荒涼とした津軽海峡の冬景色に自身の心情を重ねている歌。
津軽地方の地方色や郷愁を前面に歌っているわけではないので、青森(津軽地方)のご当地ソングとしてのイメージは薄い。
それよりも私は、この歌は東京の「隠れご当地ソング」ではないかと思っているのだ。
それは、この歌の陰には、東京への郷愁が潜んでいると思うからである。
東京に対する郷愁
「上野発の夜行列車」という歌い出しに、東北地方に暮らしているある一定の年代の人間は、まだ夜行列車が運行されていた頃の上野駅の情景を思い浮かべて、東京への郷愁に浸る。「おりた時から青森駅は雪の中」で突然青森駅に降ろされて、東京への郷愁から解き放たれる。
「北へ帰る人の群れは誰も無口で海鳴りだけを聞いている」と聞けば、無口で朴訥な印象の「北へ帰る人の群れ」が思い浮かぶ。
そしてその対比として東京の賑やかさや華やかさが強調され、また東京への郷愁がよみがえる仕掛けなのだ。
「私もひとり連絡船に乗り」で、すでに青森を通り過ぎてしまっている。
青森(津軽地方)の地方色や郷愁は問題にされていない。
主人公の女性の心情は東京を向いている
「こごえそうな鴎見つめ泣いていました」なぜこの女性は、鴎を見つめて泣いているのか。
東京での恋を実らせることが出来なかった女性は、「こごえそうな鴎」に感情移入し、楽しかった東京での暮らしを思い出して泣いているのである。
だから「ああ、津軽海峡・冬景色」なのだ。
青森(津軽地方)に郷愁を感じているから「ああ、津軽海峡・冬景色」では無いのである。
この曲の詞を書いた阿久悠氏は、たぶん「対比」という手法を使って、見事に「東京ノスタルジア」を際立たせ浮かび上がらせている。
東京から去っていく女性は、東京での暮らしを恨んでいるわけではない。
それはこの曲2番の歌詞である「さよならあなた私は帰ります」という台詞にあらわれている。
この別れの台詞には、別れるに至った事情と、楽しかった「あなた」との東京生活の思い出が対比され、「あなた」との東京生活が楽しかったから「あなた」を恨んでいないという女性の心情が表現されていると思う。
東京の隠れご当地ソング
そして何よりも決定的なのは2番めの歌詞にある「だけ」。「息でくもる窓のガラスふいてみたけど」竜飛岬は「はるかにかすみ見えるだけ」の「だけ」。
「かすみ見える」とは、ほとんど見えないのと同じ。
竜飛岬の存在は、女性にとってそれだけのものなのだ。
「はるかにかすみ見えるだけ」の竜飛岬と比べて「あなた」と過ごした東京の風景は、この女性の脳裏に鮮明に残っている。
阿久悠氏は、「津軽海峡・冬景色」の歌詞で、「東京」という語を使うことなく「東京」を強調し際立たせた。
荒涼とした冬の「津軽海峡」を歌詞に用いたのは、それを「上野」からイメージされる東京と対比させて、東京色を鮮明にするためである。
そうやって阿久悠氏は、この歌を秘かな「隠れ東京ご当地ソング」にしていると私は感じている。