霜の後撫子咲ける火桶哉

江戸時代には、家の中の調度品に、蒔絵(まきえ)が施されたものがあったという。
【蒔絵とは、漆で文様を描き、金や銀、色粉などを付着させて絵柄を描いたもの】

以前記事にした「人も見ぬ春や鏡の裏の梅」
これは、鏡の裏に描かれてある梅の文様を題材にした芭蕉の句。
そういう絵が、火桶や火鉢にも描かれていた。

冷たい雨が降ったり、霜がおりたり。
寒い季節が近くなると、家々では暖房具を用意する。

芭蕉が滞在した家でも、古風な火桶が出された。
その胴には、撫子の蒔絵が描かれている。

(しも)の後(のち)撫子(なでしこ)咲ける火桶(ひおけ)
松尾芭蕉

元禄三年の冬、京都に滞在中のときの発句と思われる。
前書きに「古き世をしのびて」とある。

「古き世」とは平安時代の頃であろうか。
「源氏物語」や「枕草子」にでも登場しそうな、趣のある「火桶」が芭蕉の傍らに置かれたのだろう。

火桶を大辞林で調べると「木製の火鉢。内側を金属板で張り、外側の木地には漆を塗り、蒔絵(まきえ)を施すなどしたもの。」とある。

それが江戸時代になると「火桶」が火鉢になる。
ウィキペディアの「火鉢」の項には、「江戸時代から明治にかけて庶民にも普及し、一部はインテリアとして発達し、彫金を施された唐金(金属)製の火鉢や、鮮やかな彩色をされた陶器製の火鉢が作られた。」と記されている。

芭蕉は、趣きに富んだ古い時代の「火桶」を見つめて、もの思いふけったことだろう。

兼好法師は「徒然草」で、次のように述べて、古い時代に造られた木製の器物を礼賛している。
「なに事も、古き世のみぞしたはしき。今様は無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみの造れる、うつくしき器物(うつわもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。」

「古き世をしのびて」という句の前書きには、兼好法師の発想に近いものが感じられる。
ただ芭蕉の場合は、物そのものよりも「火桶」に描かれた蒔絵を通して古い時代を思い慕う念が強かったのではなかろうか。

傍らに置かれた「火桶」を見て、芭蕉もまた「古代の姿こそをかしと見ゆれ。」だった。

と、これは掲句から受け取ったイメージを元にして作った私の推測。
(以下の文章も私の推測を交えた感想ゆえ、誤解なきように。)

撫子の花の時期は、カワラナデシコの場合、六月から九月。
霜が降りる頃には、もう撫子は咲かない。

晩秋の寒波がやってきて冷え込み、地面に霜が降りた。
外では木枯らしが吹き始めている。

芭蕉は寒さに身震いしながら、温もりのある「火桶」のそばへ寄った。
「火桶」の胴には、ついこのあいだまで咲いていた撫子の花が描かれてあった。

芭蕉は、その精緻な蒔絵をしみじみと眺め、「ああ、また撫子が咲いた。」と微笑んだ。

そんなシーンが思い浮かぶ。

ところで、撫子の花を上から見ると、炭火がさかんに燃えているようにも見える。
逆にいえば、炭火が熾って爆ぜている様子は、撫子の花が咲いているように見えなくもない。
それを芭蕉は、「火桶」のなかに撫子が咲いていると見たのかもしれない。

いずれにしても霜が降りる季節に芭蕉は、火桶の周辺で撫子が咲いているの見たのだ。
その撫子が、蒔絵であったか炭火であったか。

前書きに「古き世をしのびて」とあるから、やはり蒔絵かもしれないなあ。
そして芭蕉は、古風な感じの蒔絵が描かれたセンスの良い「火桶」に対するお礼として、この句をつくって亭主に贈ったのではあるまいか。


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