乾鮭も空也の痩せも寒の中

「乾鮭(からざけ)」といえば、明治時代の洋画家高橋由一の「鮭」の絵を思い浮かべる。
学校の美術の教科書に載っていた、誰もが知っているあの絵である。
口からエラに通した荒縄で吊るされ、半身が切り開かれた写実的な絵。

芭蕉の句に出てくる江戸時代の「乾鮭」は、鮭の腹をきり裂いてはらわたを取り除き、塩を振らずに陰干しにした保存食品であったという。
高橋由一の絵の豊潤な肉の鮭よりも、もっと干からびて縮んだものであったことだろう。

乾鮭(からざけ)も空也の痩(や)せも寒の中(うち)
松尾芭蕉

元禄三年冬の作。
句の前書きに、「都に旅寝して、鉢叩(はちたた)きのあはれなる勤めを夜毎に聞き侍りて」とある。

「鉢叩き」とは、空也念仏のこと。
鉦(かね)や瓢簞(ひようたん)を叩いて念仏や和讃を唱え、念仏踊りを行なって布施を求めること、またそれを行なう者のこと。
江戸時代には、門付芸のひとつとして行われるようになったという。

空也上人を始祖として、「鉢叩き」を行なう者は空也僧と呼ばれていた。
空也上人は、平安時代中期の僧である。
念仏の意味を民衆に説きながら諸国を回ったという。

また空也上人は、訪れた土地の道路や橋を補修したり。
受けたお布施を、貧しい者や病に苦しむ者へ与えた。
このことから、人々は空也上人のことを「阿弥陀聖(あみだひじり)」とか「市聖(いちのひじり)」と呼んだという。

京都では、「空也忌」とされる旧暦十一月十三日から旧暦の大晦日まで、空也僧たちが四十八日間、「鉢叩き」を行っていたとのこと。

鎌倉時代の作とされる「木造空也上人立像」は、京都の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)に安置されているものが有名である。
現代では、国の重要文化財となっている。
開いた口から、針金で繋がれた小像が飛び出している立像の写真は、これもまた学校の何かの教科書で見たような記憶がある。

句の「乾鮭」を彷彿させる高橋由一の「鮭」と、空也上人立像の写真が、ともに教科書に載っていたということ。
これが私にとっての、この句における「乾鮭」と「空也」との唯一の関連付けである。
芭蕉は、「乾鮭」と「空也」とのどんな関係を想定していたのだろう。
 
考えられるのは以下の点である。
  1. 干物である「乾鮭」も、「空也(立像)」も痩せている。
  2. 「乾鮭」は、もとは回遊魚であったし、「空也」は諸国を回り歩いた。
  3. 「乾鮭」も「空也(空也僧:鉢叩き)」も冬の風物詩である。
これらが、「寒の中」という下五に対応している。
その「寒の中」とは、「二十四節気」という方法で設定した一年の気候の変化のひとつ。

「変化」というキーワードで考えれば、「乾鮭」は鮭の変化したもの。
江戸時代の「空也(空也僧:鉢叩き)」は、始祖である空也上人の念仏が門付芸に変化したもの。
そういう変化に対する芭蕉の実感が掲句なのではあるまいか。

痩せ細った「乾鮭」は、かつて海を泳いでいた頃も面影もなく、ミイラのような異様さを放っている。
鉢叩きの始祖とされる空也上人の立像も痩せ細り、開いた口から小像を吐き出している様は、念仏を唱えながら諸国を行脚したその苦行を表している。

独学で身につけた油絵の技法で、吊るされた鮭の実在感を表現した明治時代の画家高橋由一。
「乾鮭」と「空也」の痩せた実在感を、「寒の中」に際立たせた芭蕉。

変化することで、より実在感がまざまざと浮き出る対象を、芭蕉は「寒の中」に詠んだのではあるまいか。

乾鮭も空也の痩せも寒の中


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