わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく

【「芭蕉紀行文集」(岩波文庫)より、「竹の奥」俳文と発句】


「大和(やまと)の國に行脚(あんぎゃ)して、葛下(かつげ)の郡(こほり)竹の内と云(いふ)處に(は)、彼(かの)ちり(千里)が旧里(ふるさと)なれば、日ごろとゞまりて足を休む。」芭蕉紀行文集(岩波文庫)より引用。

「大和の国に旅を進め、葛下の郡、竹の内という所に着いた。ここは、同行者の千里(ちり)の故郷なので何日かの間とどまって旅の足を休めた。」

大和竹内村に数日滞在

芭蕉は伊賀上野から、同行者の生まれ故郷である「竹の内(竹内村)」に向かう。
「竹の内」では、苗村千里の実家もしくは庄屋の家に数日滞在したと思われる。
伊賀から「竹の内」までは名張街道を経由して行ったのだろうか。
行程の記載はない。

わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく
松尾芭蕉

『天理本「野ざらし紀行」』には、句の前書きとして「やぶよりおくに家有。」とある。
「わた弓」とは、綿打ち弓のことで、弓の形をした綿打ち道具。
綿の繊維をほぐすために、弓の弦を指ではじいて使うとのこと。
綿を打つときに琵琶のような音色がするという。

竹林で琵琶の音を聞く

『天理本「野ざらし紀行」』にある「やぶよりおくに家有。」「家」は、芭蕉が滞在した家なのだろう。
竹やぶの奥の芭蕉の宿からさらに奥に農家があって、その農家で綿打ちの作業をしている。
清々しい竹の間を通って聞こえてくる綿打ち弓の音が、琵琶の音色のようで心が休まることだというイメージの句。

風でざわめいている竹林の中を貫いて響いてくる風雅な音に、芭蕉はしばらく耳を傾けたことだろう。

「実」から「虚」へ

兄や姉妹、親類縁者が暮らす「実」の地である伊賀上野を離れ、芭蕉はまた「虚」の世界の旅人となった。
こうして旅の宿に身をおいていると、綿打ち弓の音さえ琵琶の音色に聞こえてくる。
この宿では竹林が、芭蕉の「虚」の世界を「実」の世界から隔てているようである。

竹林に集まって酒宴をひらき、清談を行い、琴や琵琶で音楽を楽しんだという中国の「竹林の七賢」の伝説もある。
芭蕉は竹林に、風雅な世界を囲い込むバリアーのようなものを感じていたのかもしれない。

「野晒紀行」に書かれていない竹内村のこと

「芭蕉紀行文集(岩波文庫)」によると、芭蕉は「竹の内」の里の長(おさ・庄屋?)にあたる人物に、「竹の奥」と題した俳文と掲句を書いて「蕉散人桃青」と署名し押印した懐紙を贈っている。
その人物は油屋喜衛門という名で、芭蕉の俳文は「其里の長也ける人」を称賛する内容になっている。

ということは、「わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく」の句は、里の長である油屋喜衛門への挨拶句で、芭蕉が宿泊したのも油屋喜衛門宅であったのかもしれない。
だが「野晒紀行」には、油屋喜衛門や懐紙についての記載はない。

「芭蕉年譜大成」によると、芭蕉は翌年(貞享二年)の初春にも、伊賀から大和竹内村を再訪している。
よっぽど竹内村が気に入ったようであるが、このことも「野晒紀行」には記載されていない。


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