芋洗ふ女西行ならば歌よまむ

西行谷

芭蕉は、西行が晩年に庵を結んだとされている西行谷を訪れる。
【「芭蕉紀行文集 中村俊定校注」(岩波文庫)】によれば、西行谷は、神路山(かみぢやま)の南にある谷とのこと。
神路山は、伊勢神宮内宮の南方の山域の総称である。

「野晒紀行」には以下の文がある。

「西行谷(さいぎゃうだに)の麓(ふもと)に流(ながれ)あり。をんなどもの芋(いも)あらふを見るに、」芭蕉紀行文集(岩波文庫)より引用。

西行谷の麓に沢が流れ込んでいる。
芭蕉は、その沢で芋を洗っている女たちを見かけた。

芋を洗う女


芋洗ふ女西行ならば歌よまむ

女たちが芋を洗っている光景を見て、西行なら、この風情を歌に詠むことだろう。
さて、どんな歌を詠むことだろうなあ。
というような、西行谷を訪れた芭蕉が、敬愛する西行に対して詠んだ挨拶句なのではと感じたが。

ところが、この句をもうちょっと読み込んでみると、また違うイメージが湧いてくる。
「芋洗ふ女」を見て、西行が「芋洗ふ女」の歌を詠む格別な所以がないのである。
西行は、桜の歌人として広く知られている。
しかし、「仕事に励む女」を題材にして多くの歌を詠んだという西行の話はほとんど聞かない。

だからといって、「芋洗ふ女」の歌を詠むはずがないとは言えないのだが・・・

「芋洗ふ女」は女の子か?

西行が晩年に、子どもの遊びを詠った「たはぶれ歌」と称されている十三首の歌が「聞書集(ききがきしゅう)」にあるという。
芭蕉が西行谷で目撃した「芋洗ふ女」が家事を手伝う女の子たちということも考えられなくもない。
でも、「野晒紀行」に、「をんなどもの芋(いも)あらふを見るに、」とある。
「をんな」は成人した女性の意なので、「女の子」は無理かな・・・

そこをあえて「芋洗ふ女」の「女」を「をみな」と読めば、「をみな」は若い女性ということになる。
若い女性のなかには女の子も含まれるのではあるまいか。

芭蕉が見た女の子たちは、わらべ唄なんかを歌いながら手伝い仕事をしていた。
遊びながら家の手伝いをしている女の子たちを見て、芭蕉は、西行なら「たはぶれ歌」を詠んだことだろうなあと思い、それを「芋洗ふ女西行ならば歌よまむ」と句にした。

でも「をんなどもの芋(いも)あらふを見るに、」とあるから、無理かなあ・・・

それでは、いったい誰が歌を詠むのだろう?

「谷」を省略?

今まで「野晒紀行」で字余りの句を三句ほど読んできたが、掲句も字余りの句である。
「いもあらうをんな さいぎゃうならば うたよまん」で八・八・五となる。

天和元年五月十五日に、芭蕉は高山伝右衛門宛書簡で、字余りについて以下のように述べている。

「文字あまり、三四字、五七字あまり候ひても、句のひびき能(よく)候へばよろしく、一字にても口にたまり候を御吟味有るべき事。」(「芭蕉年譜大成 著:今榮蔵」より)

以下は、私の現代語訳。

「字余りは、三文字四文字、五文字七文字余りましても、言葉の音としての響きが巧みであればよろしいでしょう。字余りが一文字でも音の通りが悪ければ検討するべきです。」

これによれば、芭蕉が気にしているのは字余りよりも句のリズムであるようだ。
「野晒紀行」の旅に出る三年前の、門人に対する芭蕉の句作についての「教え」である。

この芭蕉の「教え」を参考にすると、「いもあらうをんな さいぎゃうならば うたよまん」はこれ以上句のリズムをこわしたくないギリギリの字余りであるかもしれない。

ギリギリということは、リズムを整えるための文字の省略もあるのでは、という推測が可能ではないだろうか。

「芋洗ふ女」が歌を詠む

私の推測はこうである。
芭蕉は中の句に「西行谷ならば」というニュアンスを含ませつつ「谷」を省略して「西行ならば」としたのではないだろうか。
そうであれば、「いったい誰が歌を詠むのだろう?」の答えは「芋洗ふ女」である。

芋を洗っている女よ、あなたも西行谷の人なら、もちろん歌を詠むのでしょう、というイメージ。
この場合の「芋洗ふ女」は女の子ではなくて成人である。

「この由緒ある西行谷の付近で暮らしているのだから、西行に倣ってあなたも歌を詠むのでしょう」
こう話しかけて、芭蕉が「芋洗ふ女」にちょっかいを出しているのでは、と思えてくる。
おっと、これは私の余計な空想。

これもまた、芭蕉の句を読む私の楽しみである。


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