芭蕉のさわやかな一句「田や麦や中にも夏はほととぎす」
「曾良書留」にある芭蕉句
元禄二年四月三日に、「おくのほそ道」の旅で芭蕉一行(芭蕉と曾良)は那須黒羽の余瀬(よぜ)に到達。
四月四日に、黒羽大関藩家老浄法寺図書(じょうほうじ ずしょ)に招かれ、四月十日まで浄法寺宅に滞在したと「芭蕉年譜大成(著 今榮蔵)」にある。
「曾良随行日記」には、四月六日より九日まで雨止まずと記されてある。
梅雨時だったと思われる。
梅雨時だったと思われる。
下記の句は、四月七日の作。
田や麦や中にも夏はほととぎす
松尾芭蕉
この句は「おくのほそ道」には載っていない。
「曾良書留(俳諧書留)」に記された芭蕉の句である。
時期的に水田の稲は緑が濃くなりだし、麦畑の麦は赤みがかった黄色になりかけている頃の作。
稲や麦が成熟に向かって、変化していく季節。
夏から秋にかけて実りをむかえ、収穫され脱穀されて、食料となっていく。
稲や麦は、そういう農家の労働の対象としてある。
そして農家の労働は、人の命の糧を産み出す尊い仕事である。
「苗みどりにむぎあからみて、粒々にからきめをする賎がしわざもめにちかく、すべて春秋のあはれ・月雪のながめより、この時はやゝ卯月のはじめになん侍れば、百景一ツをだに見ことあたはず。たゞ声をのみて、黙して筆を捨るのみなりけらし。」
「粒々にからきめ」とは「粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)のことであろう。
そして農家の労働は、人の命の糧を産み出す尊い仕事である。
「田や麦や」句文
下の文章は、この句の前におかれた句文の一部。「苗みどりにむぎあからみて、粒々にからきめをする賎がしわざもめにちかく、すべて春秋のあはれ・月雪のながめより、この時はやゝ卯月のはじめになん侍れば、百景一ツをだに見ことあたはず。たゞ声をのみて、黙して筆を捨るのみなりけらし。」
「粒々にからきめ」とは「粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)のことであろう。
「粒粒辛苦」とは、米や麦の一粒一粒は、農民の苦労と努力の結果実ったものであるという意味。
唐の詩人「李紳(りしん)」の「憫農(のうをあわれむ)」が出典となっているとのこと。
芭蕉はそれを踏まえて「粒々にからきめ」と言ったのだろう。
芭蕉はそれを踏まえて「粒々にからきめ」と言ったのだろう。
「粒々にからきめをする賎がしわざもめにちかく」は、「農民の苦労と努力をまのあたりにして」という意味かと思われる。
句文を現代語にした私の「訳文」は以下の通り。
「(稲の)苗は緑色、麦の穂は赤みがかった黄になってきた。米や麦の一粒一粒につらい思いをする農民の働きも間近に目にする。まったく(農家の人たちは)春秋の趣や月雪の景色以外、今は夏の初めであるから、(忙しくて)名勝地ひとつすら見ることができない。(そういう農民の苦労を見て私は)、ただ言葉をのみ込んで、黙って筆を置くだけであったなあ。」
農民と芭蕉との対比
「田や麦や」とは、人にとって無くてはならない食料を生産する場所である。また、その生産に携わっている農民をも、「田や麦や」で表しているように思われる。
農民は、水田や麦畑での作業におわれて、行楽地で景色を眺めるなどの人生の楽しみを享受できないでいる。
それにくらべたら私は、夏にやってくる渡り鳥の「ほととぎす」のようなもの。
いろいろな景色を見ながらこの地にやってきた。
鳴きながら旅を続ける「ほととぎす」に、芭蕉は句を作りながら旅を続けている自身を重ねたのだろう。
「田や麦」と「ほととぎす」との対比は、「苦労の絶えない農民」と「漂泊詩人である芭蕉自身」との対比であるように思われる。
「定住するもの」と「流動するもの」との対比。
それはまた、「農業生産に携わる者」と「文化の創造に携わる者」との対比でもある。
夏の田園地帯で、芭蕉はその「取合せ」を見たのだろう。
冬が来れば、春の到来を待ち焦がれ。
ウグイスが鳴けば、「ほととぎす」もと、その声を待ちわびる。
「田や麦」は、収穫され脱穀され食料となっていくなかで、一年中農民についてまわる存在。
そのなかで芭蕉は「夏はほととぎす」なのである。
その地その地で、ひととき人々の気分を潤す鳴声をあげる「ほととぎす」のように、芭蕉は流動する者として、句を作ることで世の中に潤いをもたらしたいと思ったのではあるまいか。
またしても私というトーシロの推測。
それにしても、梅雨時に作ったとは思われないさわやかな一句。
あまり話題にのぼらない句ではあるが、私は名句だと思う。
田や麦や中にも夏はほととぎす
「定住するもの」と「流動するもの」との対比。
それはまた、「農業生産に携わる者」と「文化の創造に携わる者」との対比でもある。
夏の田園地帯で、芭蕉はその「取合せ」を見たのだろう。
芭蕉の思いをさわやかな一句にした
「定住するもの」は「流動するもの」の到来を楽しみに待つ。冬が来れば、春の到来を待ち焦がれ。
ウグイスが鳴けば、「ほととぎす」もと、その声を待ちわびる。
「田や麦」は、収穫され脱穀され食料となっていくなかで、一年中農民についてまわる存在。
そのなかで芭蕉は「夏はほととぎす」なのである。
その地その地で、ひととき人々の気分を潤す鳴声をあげる「ほととぎす」のように、芭蕉は流動する者として、句を作ることで世の中に潤いをもたらしたいと思ったのではあるまいか。
またしても私というトーシロの推測。
それにしても、梅雨時に作ったとは思われないさわやかな一句。
あまり話題にのぼらない句ではあるが、私は名句だと思う。
田や麦や中にも夏はほととぎす
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