2021/07/23

藤原伊織氏の「テロリストのパラソル」を読んだ感想

藤原伊織著「テロリストのパラソル」文春文庫。


短歌

「テロリストのパラソル」という小説の題名は、かなり衝撃的である。
パラソルは女性用の日傘のこと。
なので読者は、女性のテロリストを連想するかもしれない。


「テロリストのパラソル」という題名は、小説のなかに登場する松下優子(園堂優子)が詠んだ短歌(作中歌)の語句からとられている。

殺(あや)むるときもかくなすらむかテロリスト蒼(あお)きパラソルくるくる回すよ
松下優子がアメリカに滞在していたとき、ニューヨークの五番街で、昔の知り合いだった男と数回デートする。
思いのほか陽射しが強い日だったので、彼女は急きょ日傘を買う。
知り合いの男は、その日傘を持って、竹トンボみたいにクルクル回して日傘を飛ばしながら歩いた。

彼女はそれを見て笑っていた。
そんなのどかな日だったが、松下優子は男がテロリストであることを知っていて、後日この歌を詠んだのである。
殺人者の悪意と子どものような無邪気さ。
相対するものを両方備えている危うげなテロリストを詠った歌である。

松下優子がこの歌を詠んだ時、自分はこの男によって殺されるかもしれないと思った。
彼女のそういう予感を思わせる作中歌である。

この歌は、小説の最終章よりひとつ前の章(19章)になってようやく物語に登場する。
主人公の島村圭介(本名:菊池俊彦)が爆弾テロの犯人と向かい合う章である。
この下りを読んだとき、塚本邦雄の有名な歌を思い出した。
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ

 うまをあらわば うまのたましいさゆるまで ひとこわば ひとあやむるこころ 

蛇足だったかな。

爆弾事件

この物語の起爆的なエピソードである新宿中央公園で起きた爆弾テロ事件の様子は、小説の冒頭(1章)に描かれている。
読者は、小説を読み始めてすぐにショッキングな爆弾事件を目の当たりにするのである。
そして、物語の終章近くで、爆弾事件の真相を知ることになる。

十月の土曜日の晴れた午前。
主人公であるアル中の中年バーテンダー(島村)がウイスキーを飲んで公園の芝生に横たわっている。
家族連れがのんびりと散歩している週末の公園。
そんなのどかな日に、公園で爆薬がさく裂して、多数の死者が出る。

そこから、文章はテンポよく走り出す。
読者は、物語の展開に引き込まれ、その虜になる。

取り合わせ

作者は、テロリストという「非日常」とパラソルという「平穏」とを対比させている。
この俳句的な発想である「取り合わせ(二物衝突)」が、物語の推進力になっている。
私はそう感じた。

ヤクザが登場し、そのあと島村は暴漢に襲われる。
殺伐とした展開がつづく中、ロマンチックなムードも漂い始める。
アル中の中年男(島村)と、若い知的な女子大生(松下塔子)との間に生まれる「恋愛感情」のようなもの。
この取り合わせだけでも、読者を魅了するには充分である。

さらにアル中の島村と「奇妙なやくざ」である浅井との間の「友情」のようなもの。
東京大学の全共闘運動の活動家仲間だった園堂優子(松下優子)と菊池(のちに島村)との「恋愛感情」のようなもの。
同じ仲間だった桑野誠と菊池との「友情」。
桑野の菊池に対する「嫉妬の情」。
これらの「情」が、物語の流れの底流となっている。

特に、アル中男(島村)と若い女子大生(松下塔子)との「恋愛感情」は抒情性を持って描かれている。
若い女性が慕い、中年男が知らぬふりをし、やがて中年男の恋情が明らかになる。
まるで相聞歌。
島村と浅井の「友情」のようなものも相聞歌的である。
終章近くで、事件の真相を語る桑野誠の語り口は挽歌的。

小説の題名が作中の短歌からとられているので、物語には短歌的な抒情が漂っているように感じられる。
これがこの小説の格調を上げている。

宿命論

駒場共闘の理論的中枢からも一目置かれていた男が敗北感を味わって、島村に語りかけるシーンがある。

「われわれが相手にまわしていたのは、もっと巨大なもの、権力やスターリニストを超えたものだって気がしてきたんだ。いわゆる体制の問題じゃない。もちろんイデオロギーですらない。それはこの世界の悪意なんだ。この世界が存在するための必要成分でさえある悪意。空気みたいにね。その得体の知れないものは、ぼくらが何をやろうと無傷で生き残っている。これからも生き残っていくだろう。」
これに対して島村は「宿命論みたいだ」とか「抽象的すぎる」と感想をもらす。

男は「ゲームセット」という言葉で、この「総括」にケリをつけるが、彼の宿命論はその後の人生に色濃い影を落としている。
全共闘運動の政治的な使命感が崩れ去ったとき、男は宿命論の闇に迷い込み、復讐と嫉妬心のためのテロリストになる。
彼は人を殺すことをなんとも思わないサイコパスに変わり果てる。
無邪気にパラソルをクルクル回しているテロリスト。

緻密な頭脳の持ち主である男自身が待ち望んでいた結末が訪れる。
彼は島村に以下のような言葉をかける。

「これがあの闘争を闘ったぼくらの世代の宿命だったんだ」
これに対して島村は、「私たちは世代で生きてきたんじゃない。個人で生きてきたんだ」と応じる。

防人歌

男の謎めいた言葉に対して、島村は当然すぎる現実的な言葉を返す。
宿命論の影を引きずりながら東大全共闘から殺人者に変貌した男と、東京大学からも宿命論からもドロップアウトした島村との劇。
「テロリストのパラソル」はこの異色なふたりの生き方のドラマチックな対決物語である。

万葉短歌風に言えば「防人歌(さきもりのうた)」。
結果的に島村は、南米から日本に麻薬を持ち込もうとした男の計画をつぶすことになる。
アル中の中年バーテンダーは、防人としての一面もあった。
防人歌のハードボイルド小説。

最後に

物語のなかで過去の事件の関係者が、あらたな登場人物となって出会う偶然が多すぎるのは、娯楽読物故のこと。
「へえ、そうだったのか」と読者は、楽しいため息をもらすことだろう。
そんなこんなで「テロリストのパラソル」は、いろいろと面白い娯楽小説だった。