2021/07/01

芭蕉の称賛と謙遜と主張「蝶の羽のいくたび越ゆる塀の屋根」

「芭蕉年譜大成」より。



奥羽(おくのほそ道)と北陸の旅を終えた芭蕉は、その脚で伊勢神宮の式年遷宮を奉拝し、伊賀上野に帰省する。
そのまま、元禄二年九月から二十五ヶ月のあいだ上方(かみがた)地方を漂泊したのである。
郷里の伊賀上野と大津や膳所(ぜぜ)、京都を泊まり歩く。
各地で、数日から六ヶ月の逗留生活を送った。
それは、小さな旅の繰り返しであったのだろう。


蝶の羽のいくたび越ゆる塀の屋根
(ちょうのはの いくたびこゆる へいのやね)
松尾芭蕉

この句は、元禄三年の春に伊賀上野に滞在中の作とされている。
詞書(ことばがき)に「乍木亭(さぼくてい)にて」とある。
伊賀上野の門人宅での作と思われる。

この年の三月下旬ごろ、芭蕉は膳所に発っている。
伊賀上野から膳所への旅立ちを前にした発句なのだろう。

掲出句には、自身を招いてくれた乍木亭の亭主に対する挨拶が含まれている。
下五(しもご)に「塀の屋根」とあるのは、塀の上に屋根を設けた築地塀(ついじべい)のこと。
「頑丈な築地塀をめぐらした立派な邸宅でございますなあ」と亭主の屋敷を称賛している。
おそらく位の高い武家の屋敷なのではあるまいか。

掲出句は、その立派な築地塀に可憐な蝶を取り合わせている。
曲者の侵入を許さない頑丈な築地塀と、その塀を何度も越えているか弱い蝶の取り合わせが面白い。
イメージとして対立(頑丈対ひ弱)する二物を、一つの風景のなかに溶け込ませて詠んだ面白さであると思う。

この蝶は、芭蕉自身を表現しているのではないだろうか。
芭蕉の葉も蝶の羽も、ひらひらと風に舞う。

掲出句は、風に舞って旅立ちたい芭蕉の憧れを表しているのかもしれない。
「行く旅」に対する思いが、「いくたび」に掛かっていると言えるだろう。
また、「いくたび」には、繰り返すという意もある。
蝶は、繰り返し上方を飛び回っている芭蕉そのものなのである。

「蝶の羽」と表現したことで、蝶と芭蕉の距離が縮まっているように思われる。
芭蕉が想定したシーンは、高い築地塀を飛び越えた蝶が、芭蕉を誘うように目の前で舞い、芭蕉に羽根を見せる。
芭蕉は、蝶となって塀を飛び越えて出ていこうとしている。
そんなシーンだ。

立派な屋敷を称賛し、自身はその屋敷のなかでひらひらしているか弱い蝶であると謙遜しつつ、自分は立派な屋敷に定住することのない「一所不在」の思想の具現者なのだと主張している。
称賛と謙遜と主張。
掲出句は、そういう内容を盛り込んだ絶妙の句であると、トーシロの私は感じ入っている。
あまり話題にあがらない句であるが、私の好きな句のひとつである。

こののち芭蕉は、江戸帰着まで上方地方を蝶のようにひらひらと飛び歩く。
以下がその足どりである。

元禄三年

三月下旬頃:伊賀上野から膳所へ。
四月六日:国分山の幻住庵に入る。前日までは、義仲寺の草庵を主宿に。
夏:在湖南(琵琶湖の南岸)。
六月上中旬:京都・凡兆(ぼんちょう)宅。
六月十九日:幻住庵に戻る。
六月二十五日:数日来、膳所・珍碩(ちんせき)宅に逗留。夜に幻住庵に戻る。
七月二十三日:幻住庵を出て大津へ。
八月四日:大津・木曾塚(義仲寺)。
九月中下旬:堅田(琵琶湖の西岸)に滞在。
九月二十五日:堅田から木曾塚に帰庵。
九月二十七日:京都へ出る。この日か翌朝木曾塚へ戻る。
九月末:伊賀上野に帰省。
十一月上旬頃:在京都。
十二月中旬:在大津。
大晦日:大津・木曾塚。

元禄四年

一月:木曾塚で新年。
一月上旬:伊賀上野へ。
二月上中旬頃:奈良で薪能(たきぎのう)見物。のち伊賀へ戻る。
四月十八日:洛西嵯峨の落柿舎に入る。
五月五日:落柿舎を出て、京都・凡兆宅へ。
六月十日:凡兆宅から大津・乙州(おとくに)宅へ。
六月十三日:大津より京都・凡兆宅へ。
六月二十一日:史那(ふみくに)宅へ泊る
六月二十五日:京都から大津へ向けて出立。
七月中下旬:一時、京都へ出る。
八月十三日:在木曾塚草庵。
九月中旬:一旦京都へ出る。
九月二十三日:夜、京都から木曾塚・無名庵に戻る。
九月二十八日:木曾塚・無名庵を出て江戸へ向かう。
     【参考文献:「芭蕉年譜大成」今榮藏著・角川書店】

「蝶の羽のいくたび越ゆる塀の屋根」の発句の後、江戸へ向けて旅立つまで、芭蕉はまさに上記のように「一所不在」の蝶のように飛び回っていたのである。


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