雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ

シロチドリ(「コピペできる無料イラスト素材展・鳥イラスト素材集」より)

都営住宅の4階の部屋から王子駅まで、彼のゆっくり歩きでは30分ぐらいかかる。
王子駅から東京駅までは、JR京浜東北線・快速を利用した。
東京駅から葛西臨海公園まではJR武蔵野線に乗った。

料金は片道400円。
電車の往復料金に、コンビニ弁当や飲み物の代金を加えても1500円ぐらい。
年金暮らしの彼にとって、週に一度の遊興費として許される金額だった。

葛西臨海公園へは、西なぎさの干潟を歩き回るシロチドリに会いに行ったのである。
可愛い小鳥が、チョコチョコ歩いてはちょっと立ち止まり、またチョコチョコ歩く。
そうかと思えば、突然、猛スピードで砂地の上を駆けたりする。
そのしぐさは、一日中眺めていても飽きることがなかった。

終日シロチドリの愛らしさに癒された。
干潟に打ち寄せる波が夕陽の影と重なる頃、彼はゆっくりと葛西臨海公園駅へ向かう。
小声でささやくようなシロチドリの鳴き声を背後で聞きながら。

シロチドリの鳴き声は、彼の幼い娘を思い出させるものがあった。
離婚してから40数年のあいだ、彼は娘の顔を見ていない。
今年で80歳を迎える老人にとって、アルバムの中の幼子は、ぼんやりとした記憶の幻でしかなかった。

むしろ干潟のシロチドリの方が、親子3人で暮らしていた頃の思い出を鮮明にしてくれそうな気がした。
シロチドリに会うと、暗い海の底から水面にポッカリと浮かび上がったような気分になる。

干潟の泥砂の上で、小鳥がささやき続ける。
彼はそれを聞きながら、夕暮の帰途に就くのであった。
いにしえの海から、幻の現実へ。

都営住宅に着く頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。
近くに24時間営業の弁当店がある。
そこで夕食用の弁当を買って部屋にもどった。

小旅行からもどると、50年間馴染んだ部屋はどこかよそよそしい。
このごろは、西なぎさの干潟に対する愛着が強くなっている。
しょっちゅうシロチドリのことばかり思っている。
だから、この部屋をよそよそしく感じるのかもしれない。

かつての妻や娘の消息は、とうの昔に途切れていた。
独り暮らしに馴染んだ部屋なのに、隅の方に残っている家族の欠落感が、よそよそしさを演じているような。

いっそ西なぎさの近くでホームレスをしようか。
などと思ったが、長年患った糖尿病のせいで心臓の具合が悪い。
今日も、いつもの癖で弁当を買ったものの、食欲はまるでない。
これでは、ホームレスもつとまらないだろう。

兄弟もなく、親しくしている親類もいない。
このままこの部屋で孤独死するのだろう。
無縁仏が自分の人生の終点なのだ。

彼は、敷きっぱなしの布団の中に、服を着たままもぐりこんだ。
我慢できないぐらい胸が苦しくなったら、自分で救急車を呼ばなければならない。
そのために、枕もとに携帯電話を置き、衣服のまま床に就くのが習慣になった。
布団の中は、かすかに磯の匂いがした。

うとうとしかけたとき幻を見た。
枕もとでシロチドリが、チョコチョコ歩いてはちょっと立ち止まり、またチョコチョコ歩いている。

「おまえ、ついてきたのか」

そう問いかけたときシロチドリが
「ピヨッピヨッピョッチチチチ」と鳴いた。

干潟で聞いたときと違って、彼は、心がしおれるような寂しさにおそわれた。
なにもかもが寂しい。
思い出も古くなってしまった。
寂寞とした海の、闇の底にいるようで寂しかった。


近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ
(あふみのうみ ゆふなみちどりながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ)

万葉集 第三巻・二百六十六番歌
柿本人麻呂


◆関連リンク・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★エンタメ読物一覧へ

Next Post Previous Post

広告