雑談散歩

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上林暁の「薔薇盗人」を読んだ感想


上林暁「聖ヨハネ病院にて・大懺悔」(講談社文芸文庫)の「薔薇盗人」のページ。


「山に埋もれたる人生ある事」

八年ぐらい前に読んだ上林暁の掌編小説「薔薇盗人」を、また読んでみた。
再読しながら、この短い物語をどう読んだらいいのだろうと考えていたら、柳田国男の「山の人生」のなかにある「山に埋もれたる人生ある事」が思い浮かんだ。

柳田国男は日本民俗学の開拓者と言われている民俗学者で、明治政府下で農務官僚を勤めた人でもある。
「山に埋もれたる人生ある事」は、冒頭に「今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい」と書かれているように、実際に起こった事件についての記述であるらしい。

事件のあらましは「三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺した」というショッキングなもの。

炭を背負って里へ降りても、炭を買ってくれる人がいない。
炭焼きの男は一合の米も手に入れることができず、飢えきっている子どもの顔を見るのがつらいので、部屋の奥で寝てしまう。

男が目覚めると、二人の子どもが夕日を身に受けながら一心に大きな斧を磨いでいる姿が目に入った。

子どもは「阿爺(おとう)、これでわしたちを殺してくれ」と言ったそうである。

そう言って子どもたちは、材木を枕にして仰向けに寝たという。
父親は、目が眩んだようになって、そのまま小さな子どもたちの首を打ち落としてしまう。

赤文字部分は「山に埋もれたる人生ある事」からの引用。

働き者の母親の死と、無力な父親

「山に埋もれたる人生ある事」に登場する男の子は十三歳。
「薔薇盗人」の主人公である仙一も、小学校五年生で似たような年齢である。
子どもたちの母親はすでに亡くなって、父親が子どもたちの面倒をみているというところも共通している。

仙一や二人の妹たちは、あまり働かない父親のせいで、なかなか飯にありつけない生活を送っている。
父親の喜八の唯一の収入源は、死んだ女房であるお由布(ゆう)の連れ子の富江の仕送り。
伊勢の紡績工場で働いている十五歳になる富江が、健気にも毎月五円を喜八に送って寄こすのである。

貧困による飢餓的状況

ごくたまに、親戚の者が米を持ってきてくれたり、近所の者が仙一にご飯を一杯か二杯ご馳走してくれることがある。
だが仙一は、朝礼の時に倒れることが度々あるほどの欠食児童なのだ。
まだ小学校に入っていない妹たちも、お腹を空かして始終寝てばかりいる。

父親も襤褸布団にくるまって寝てばかりいるのだが、子どもたちに食事がわりの芋を茹でて与えたりしている。
そんな粗末な食事だけなので、一家がさらされている飢餓的状況に変わりはない。

炭焼きの一家も仙一の一家も、父親がふがいないせいで子どもたちが死ぬほど腹を空かせている。
二つの家の違いは、一方は絶望的であり、もう一方はそれなりの希望を持って生きているということかもしれない。

いくらかの脚色はあるにしても、柳田国男の「山に埋もれたる人生ある事」はノンフィクション。
上林暁の「薔薇盗人」は創作。
だが、仙一の家のように貧困に陥っている家庭は、現実に存在し続けている。

山の中に孤立して暮らしている炭焼きの一家は、誰からも助けられることもなく飢餓の中で滅んでいく。
仙一の家族は、周囲の人たちに見守られながら生き延びている。

おそらく仙一の家族も、山の中で孤立して暮らしていたら、飢餓に埋もれて滅んでいたことだろう。

人物像

上林暁は、様々な人物像を描いて、物語に登場させることによって、飢餓的状況を希望的なものに脱却させようと試みているように私には感じられる。

小学校の校門のそばで咲いていた一株しかないバラの花を仙一が盗んだのは、腹を空かして寝てばかりいる妹の由美江を元気にするためであった。

たった一株しかない赤いバラの花が消えてなくなったので学校中が大騒ぎになる。
ついに仙一の行為が、受持ちの松原先生に知られることとなり、教員室に呼ばれた仙一は松原先生の高圧的な叱責に涙を落とす。
松原先生は仙一の家庭の事情を知っているようで、欠食児童である仙一の身を案じてもいる。
帰宅した仙一に父親の喜八がビンタを浴びせる。
「ぬすっとするような奴は出て行け!」と怒鳴られ、仙一は家から放り出されてしまう。
妹の由美江と利江は、寝ていた布団から半身を起こして泣き出す始末。

家を放り出された仙一は、丸い大きな月に照らされている村の中を当て所もなく歩く。
友達の家の前で、年下の遊び仲間である道夫に出会う。
ふたりは連れ立って、隣村まで芝居見物に出かける。
ところが、お金を持っていないので芝居小屋には入れず、ふたりは近道である墓地の中を通って帰る。

映像的

墓地の中ほどまで来たとき、仙一は怖がっている道夫に自分の母親の墓を指さして教える。
土饅頭に割石をのせてあるだけの粗末な墓。
土饅頭の周りは雑草が生え放題で、花がいっぱい咲いている紫陽花の木がすぐそばに立っている。

このシーンで、上林暁は仙一の感情を描いていない。
仙一が墓地の中を通ったのは、母親の墓を道夫に指し示したいという衝動があったからだと、ただ淡々と描いている。
まるでハードボイルドタッチ。

この情景描写を読み進めていくうちに、読者は映画でも見ているみたいに、登場人物の表情や感情を読み取ることだろう。
仙一が妹の利江と一緒に大きな鰡(ボラ)を釣り上げ、意気揚々と家に帰ったら、入院していた母親が死んで帰っていたという描写も、映像的である。

読者はこの物語を読むことによって、上林暁の視線を追うことになる。
視線を追うことで、飢餓的状況の中に飢餓的ではない何かが見えてくる。
なにか希望のようなものが、見えてこないだろうか。

仙一が道夫と別れて家に帰り着くと、家の中が明るく見えた。
父親の喜八が蝋燭の灯のそばで、仙一の学校草履を作っていたのだ。
喜八は、帰ってきた仙一を見て、「芋食うて寝よ」と言う。

この物語は以下のような「希望的」な映像で終わる。

仙一は徒跣(はだし)で座敷へ上がり、芋を二つ三つ食ってから、利江と由美江の間へ割り込んで寝た。父親の影法師が煤けた壁の上で大きく揺れるのを見つめながら。・・・・・・

仙一は希望を盗んだ

飢えていた仙一は、食べ物を盗まずに薔薇の花を盗んだ。
飢えている妹に、食べ物を盗んで与えずに、腹の足しにもならない紅い薔薇の花を与えたのだ。
仙一は、死ぬほど腹が減っているにもかかわらず、芝居見たさに隣村まで歩いて行ったり。
どことなく現実離れした子どものように見える。

柳田国男が取材した現実の事件のような飢餓的状況。
上林暁は、そんな状況に蝋燭のかすかな明りを灯したかったに違いない。

貧困による絶望の闇に、かすかな希望の明りを灯そうとしたと私は感じている。
物質的な明かりではなく、文化的な明かりを。
それは、上林暁自身の希望なのだろう。

サルトルの発言

フランスの哲学者・小説家であったジャン=ポール・サルトルは「飢えて死ぬ子供を前にしては文学は無力である」というような意味のことを、新聞社のインタビューの席上で発言した。
1964年のことである。

それよりも早く1932年に上林暁は「薔薇盗人」を発表している。
柳田国男の「山に埋もれたる人生ある事」が「アサヒグラフ」誌上に発表されたのは1925年頃のこと。

1924年4月に上林暁は東京帝国大学文学部英文科に入学している。
もしかしたら在学中に、「山に埋もれたる人生ある事」を読んでいたかもしれない。

サルトルの有名な発言が世界の文学界を駆けまわった頃、上林暁は62歳になっている。
作家は右半身不随のため、介護と口述筆記に助けられながら次々と小説を発表していた。
おそらくサルトルの言葉も作家は耳にしたことだろう。

文学(文化)が生み出す希望の明りは、まったく無力ではない。

サルトルの言葉を聞いて上林暁は、そうつぶやいたに違いない。

上林暁の「薔薇盗人」を、私は、そういうふうに読んだ次第である。

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