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深沢七郎の中編小説「絢爛の椅子」を読んだ感想

深沢七郎著「絢爛の椅子」

特徴

この小説には、ところどころに「・・・のである。」とか「・・・のだ。」とか「・・・った。」とかの語尾で閉じられる文が、畳みかけるように繰り返される箇所がある。
それが、文章の特徴となっている。

その箇所は、主人公の独白体なのだが、くどいように同一語尾が連続する文が、主人公の思い付きの性急さや混乱ぶりをよく表していると思う。

椅子

世の中には、腰掛けるためだけではなく、社会的な地位の象徴として存在する椅子がある。
王様の椅子とか、社長の椅子とか、大臣の椅子とか。

この小説の主人公が座ろうとしている椅子はどんな椅子なのか。
それは、警察の取調室で自身の完全犯罪を実現したときに、ふんぞり返って座る椅子である。
その椅子のために、少年(敬夫)は殺人を犯す。

「証拠があるなら、ここへ出して貰いたいよ」
と言って、取調室で堂々と担当の刑事に応酬する。
そのときに腰かけている椅子が、少年にとっての「絢爛(けんらん)の椅子」なのである。

何人もの犯罪者が座った古い板の椅子。
その椅子に腰かけながら完全犯罪を成し遂げたとき、少年は「どんな豪華な椅子に腰かけているより痛快」な気分になるはずだと思っている。

殺人の決意

そう思うようになったのは、泣きながら自白している父親の姿を目撃してしまったからだ。
屑鉄を盗んで警察署に留置されている父親。
屑鉄盗み常習犯の父親が「自白さえしなければ無罪だったのだ」と愚痴をこぼしていたにも関わらず、あっさり自白した。

それが口惜しい。
さらに、過去に少年自身が図書館で本を盗んでバレてしまったことを思い出して、また口惜しさが増してくる。
少年は「絶対にバレないことをしてやるんだ」と思うようになる。

ただそのためだけに、少年は殺人を決心する。
彼は、通り魔的に女性を殺してしまう。

その事件が犯人不明で「迷宮入り」になりそうなのが、少年には物足りない。

誰がやったか判らないことなんかつまらない淋しいような気がした。俺がやったんだが俺を犯人にすることはできないなら腹いせにもなる・・・・

 

少年の選んだ道

少年は第二の殺人を実行し、新聞社に自分が犯人だという匿名の電話をかける。
結局、何回めかのしゃべり過ぎた電話が原因で、少年は逮捕されてしまう。

少年の父親は、古鉄の屑物を盗んでは警察に捕まるということを繰り返してきた。
そんな家庭だから、買いたいものがあっても少年には買うお金が無い。
万年筆とか本とか、少年は必要なものを盗んで手に入れていた。
盗みを繰り返していても、バレたのは図書館で本を盗んだときだけだった。

いままでバレたことがなかったのに、図書館の本を盗んだことが夜間高校のクラスの同級生に知られてしまい、少年は自身に将来の道の選択を強いた。
その選んだ道と言うのは世間から「悪だ」ときめられることを自分が認める道なのだった。
もう将来に希望がないことを、少年は幼くして気づいてしまっていた。
少年の未来には、社長の椅子も大臣の椅子も用意されてはいない。

あるのは、盗みを働く父親がいつも座らされる古い板の椅子だけである。
だが、父親みたいなヘマはしない。
警察が示した証拠は、すべて根拠のないものだと「がんばれるだけがんばるぞ」と決意する。

終着駅

それは絶望の椅子を、「絢爛の椅子」にしてやろうという決意である。
しかし、同じような取り調べを繰り返し受けるなかで、そんな決意が「面倒だナ」と思うようになる。
どうせ、俺の一生なんてどっちでもいいんだ
そう思って、二件の犯行をあっさり白状してしまう。
結局少年は、父親の人生を繰り返している。
そして、繰り返さざるを得ない人生に、決着をつけようとしているのだった。

少年が座っているのは「絢爛の椅子」ではなくて、多くの犯罪者が座らせられた、ただの板の椅子。
板の椅子は、まだ若い少年の人生の「終着駅」になりそうだった。

その椅子の上で少年は、ふんぞり返ることもなく「ふっふっふ」とむなしく笑うことしかできない。 
すべてを諦めたことから生じる、少年の笑い。

「社会派小説」ではない

深沢七郎の「絢爛の椅子」は、敬夫という少年が陥った「諦めの椅子」を描いた小説である。
この小説は、1958年(昭和33年)に東京都で起きた小松川事件(こまつがわじけん)を題材にしたものだとされている。
だが、いわゆる「社会派小説」ではないと、私は感じている。

生きるためになんの手立てもなく無力感にとらわれている敬夫という少年の物語である。
殺した女性たちに対して敬夫は、無感覚で無感情な態度に徹している。
殺人者の心の葛藤は皆無である。

「絢爛の椅子」に座ることが、唯一の感情のあらわれであるような敬夫の人生。

演劇的

登場人物に固有名詞があるのは「敬夫」だけ。
取り調べの刑事は、「肥った刑事さん」とか「細い足の刑事さん」とかだけで名前は記されていない。
まるで読者の視覚に訴えているようである。

警察署については、「赤茶けたドアが並んでいる廊下・・・」という描写が、舞台の一場面を思わせる。
取調室の「古い板の椅子」「古い板の机」は、演劇の舞台では、スポットライトが当てられることだろう。 

信頼もしていない「警察の奴ら」「ダマされたッ」と錯乱し、信じるに足りない父親の言葉に混乱し、「くずれるように敬夫は板の椅子に腰を」おとす。
「絢爛の椅子」の幻想が打ち砕かれた瞬間のシーンである。

そして暗転。
暗闇のなかで、敬夫は「ふっふっふ」と自身の人生を笑う。


(※赤文字部分は小説からの抜粋)

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