雑談散歩

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酷寒の世界を描いたジャック・ロンドンの「焚き火(辻井栄滋 訳)」を読んだ感想

エスキモー犬(狼犬)。「コピペできる無料イラスト素材展・動物イラスト素材集」より。

辻井栄滋氏の翻訳によるジャック・ロンドンの「焚き火」を読んだ。
この短編小説の原題は、「To Build a Fire」となっている。
「To Build a Fire」の翻訳者のひとりである柴田元幸氏は、邦題を「火を熾(おこ)す」としている。

どちらの邦題も、火が男の命運を左右しているので、象徴的である。

「焚き火」には、物語を貫く三つの視線が感じられる。

(1)酷寒のなかで、徐々に無力感に襲われていく男の視線。
(2)犬の目を通した「自然」の視線。
(3)冒険家である作家の、語り手の視線。

小説の始めのほうで、語り手は男のことを、以下のように語っている。

この男の難点は、想像力のないことだった。日常生活一般では敏捷で抜け目がなかったが、それは物事のうわべだけのことであって、意味のあることについてはそうではなかったのだ。零下(華氏でマイナス)五十度といえば、氷点下八十何度ということだ。そうした事実にしても、この男には寒くて不快と感じる、それだけのことだった。気温に左右される生き物としての自分のもろさや、ある限られた暑さ寒さの範囲内でしか生きられない人間のもろさ全般についてまで、考えが及ぶことはなかった。

上の文中の華氏マイナス50°Fは、日本でおなじみの摂氏に換算するとマイナス45.56°Cになる。

ユーコン川に沿って歩く酷寒地の旅の物語に登場するのは、男と犬(エスキモー犬)。
たびたび、男の回想に登場する「サルファー・クリークの古顔」と、回想に一回しか登場しないバッドという名の男。
それが登場人物のすべてである。

主人公(?)の男に名前がないのは、個人名など意味をもたないほど人間を拒絶する自然環境であるからだろうか。
語り手(作家)の視線も犬の視線も、常にこの男に注がれている。

命あるものは、いつかは息絶える。
なので、人間の「生」には絶えず「死の影」がつきまとう。
日常においてそうなのだから、マイナス45.56°Cよりも寒い酷寒の地ではなおさらのこと。

そんな世界に足を踏み入れていながら、男は自身の「生」ばかり見ていて、同伴者である「死の影」を見ようとしない。

想像力は理性の産物であり、恐怖心も理性の働きによって生じる。
もし男に理性が働いていて、酷寒に対する恐怖心が生じていたら、単独では旅を行わなかったであろう。
酷寒に対する装備も持たずに出かけなかったことだろう。

想像力の欠ける男は、語り手の心配通り罠にはまる。
クリークを流れる水がすべて凍っていても、山腹から湧き出る泉は凍らない。
それらの泉は、雪の下に水たまりを隠している。

注意深く雪の上を歩いていた男は、ついに雪を踏み破って、膝下半分を濡らしてしまう。
唾を吐けば、その唾が雪の上に落ちないうちにパチッと鳴って凍ってしまう寒さだ。
たった膝下半分の入水で、男の下半身はたちまち凍りついてしまう。

唯一の頼りは火なのだが、酷寒で感覚を失い、動かなくなった指ではマッチも擦れない。
ようやく燃え出した焚き火は、えぞ松の木の枝に積もった大量の雪の落下で消えてしまう。
危機が現実のものとなったとき、男は死の影を見る。
男は、死の影と同伴だったことにようやく気がつくのだ。

想像力に欠ける男が凍死寸前で想像したのは、皮肉にも仲間たちが男の死体を発見するシーンだった。
無力感に襲われている男の視線は、自身の死体に注がれ、やがて雪の上で視線を閉じる。

一方、犬の視線は男の一挙手一投足に注がれている。
男と親密な関係に無い犬の視線は、冷徹な観察者の視線である。

語り手の視線も、犬の視線と同一なように思われ、物語の終盤にかけて、語り手の視線が犬の視線と一本に交わるように見える、のだが実は違うようにも感じられる。

この小説は、酷寒の地での行動学のテキストではない。
極地で無謀な行動をするモデルを描いて、読者に教訓を説こうとするものでもない。

男の行動に批判的だった語り手(作家)の視線は、焚き火に失敗するあたりから、だんだんと男の視線に寄り添っていく。

男が雪の上に座り込み、麻酔薬にかかっているみたいに心地よい眠りについたとき、男の視線は消え、語り手の視線も消える。

残された犬は、すべてを納得して、男が目指した野営地へ向かって走る。
語り手が、男に寄り添いながら犬を見送る形で、物語は終わる。

男に寄り添い始めた語り手にとって、焚き火は唯一の希望だったのだ。
それが失敗に終わった時、ジャック・ロンドンは男の姿に自身の死の影を見たのかもしれない。

おそらく極地での物語を書くたびに、冒険者であるジャック・ロンドンは自身の死の影を見ていたに違いない。
酷寒の地で、火は安らぎであり、力であり、命の象徴である。
犬も火を欲したが、犬に火はおこせない。

男と親しくなかった犬は、焚き火以上のものを男に求めなかった。
火が消えて、男の命が消えた時点で、犬は次の火を求めて男から去って行くのである。

愛する自然から見放された、極地でのまったくの孤独な死。
冒険者であるジャック・ロンドンが垣間見た自身の死の影だったのではあるまいか。



(※赤文字部分は小説からの抜粋)

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