雑談散歩

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旅を夢見た芭蕉「水寒く寝入りかねたる鷗かな」

ユリカモメのイラスト
ユリカモメ。「コピペできる無料イラスト素材展・鳥イラスト素材集」より。


芭蕉が貞享三年に作ったとされる発句のなかには、割と私好みのものが多い。
貞享三年は、松尾芭蕉が四十三歳になった年である。

「割と私好みの句」を、以下に、制作の早い順から列挙してみた。

一月:古池や蛙飛び込む水の音
三月:よく見ればナズナ花咲く垣根かな
八月:名月や池をめぐりて夜もすがら
冬:瓶割るる夜の氷の寝覚め哉
冬:初雪や水仙の葉のたわむまで

上記のほかに、まだ記事にしていない「お気に入りの句」がいくつかある。
そのひとつが、鷗(かもめ)が登場する下記の発句。

水寒く寝入りかねたる鷗かな
(みずさむく ねいりかねたる かもめかな)

前書きに、「元起和尚より酒を賜はりける返しに奉りける」とある。
「元起和尚」とはどなただろう?
蕉門の門人には、元起和尚の名は見あたらない。

芭蕉が深川の庵(芭蕉庵)に移り住んでから親しくなった和尚さんは、同じ深川の臨川庵(臨川寺)にいっとき滞在していた仏頂和尚とされている。

深川で仏頂和尚と出会い、和尚から禅の思想を学んだ芭蕉。
そうして、仏頂和尚から元気をもらっていたので、仏頂和尚のことをひそかに「元起(元気)和尚」と呼んでいたのかもしれない。
なんて、トーシロの推測であるが。

それはそうと、この句の好きなところは下五の「鷗かな」である。
「かもめかな」にしびれた。

「鷗かな」で厳冬の夜のカモメの映像が、ぱっと頭に思い浮かんだ。
「寝入りかねたる鷗かな」で、映像はますます鮮明になった。
冬の白いカモメには、雪を喚起するイメージがある。

「水寒く」の上五には、水辺の冬景色が写しこまれている。
水面に雪がしんしんと降る夜。

隅田川の川面で、雪と水の冷たさにふるえているカモメ。
闇の中の残像のような白いカモメのちいさな姿。
この句から私が感じたイメージは、消えゆく残像感だ。
はかないカモメの残像感にしびれた。

芭蕉は、現実の冬の厳しい寒さを、幻想の世界へ置き換えたのだ。

寝入りかねたカモメは、どこへ行くのだろう。
寒い水から上がって、陸地にねぐらを求めて、寒い夜をとぼとぼと歩いたのだろうか。
などというシーンも思い浮かぶ。

東京近辺で見かけるカモメは、ユリカモメが多いとのこと。
東京都の「都民の鳥」もユリカモメとされている。

ユリカモメは、旅をする渡り鳥である。
芭蕉は、貞享元年から貞享二年にかけて「野ざらし紀行」の旅に出ている。
掲出句をつくった貞享三年は、一年中「第二次芭蕉庵」に滞在していて旅には出ていない。

この夜「寝入りかねたる」芭蕉は、旅を夢見たのではなかろうか。
お酒を携えて寒中見舞いに訪れた仏頂和尚と歓談し、旅への思いをふくらませたのではあるまいか。

芭蕉にとってこの年の冬は、眠れない夜や、夜中に目が覚めることが多かったように思える。
「瓶割るる夜の氷の寝覚め哉」とか「酒飲めばいとど寝られぬ夜の月」とか「月白き師走は子路が寝覚め哉」などの句を残している。

丸一年、芭蕉庵という一所に在住していたので、旅(一所不在)への郷愁が募っていたことだろう。
未知の世界を夢見て、眠れない夜が多かったのではないだろうか。

翌年(貞享四年)の秋には「鹿島紀行」の旅に出て、鹿島の根本寺の前住職であった仏頂和尚を訪ねている。
八月十四日に、月見がてら仏頂和尚の隠居所である長興庵に一宿したと「芭蕉年譜大成」にある。

そして、この年の初冬に、「旅人と我が名呼ばれん初時雨」と詠って、いよいよ「笈の小文」の旅へ出かけるのである。
旅は夢ではなく、現実のものとなったのだった。


■参考文献
芭蕉年譜大成:今榮藏著・角川書店

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