雑談散歩

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成敗と銃・「安倍元首相銃撃事件」で思ったこと

先月の8日に奈良市内で起きた「安倍元首相銃撃事件」から、もう一ヶ月が過ぎようとしている。

この頃のマスコミ報道は、本年9月に予定されている安倍元首相の国葬のことや、自民党議員と「旧統一教会」との結びつきのことがほとんどだ。

それはそれで、問題なのだろうが、私がもっとも気になっているのは山上徹也容疑者のこと。

「旧統一教会」を恨んでいたとは言え、なぜ安倍元首相を銃殺しなければならなかったのか?
このことが、いちばん気になっている。

山上徹也容疑者の「恨み」とは、マスコミ報道によれば「母親が旧統一教会に入会し、会から多額の寄付金(献金)を要求され、その支払いが原因で母親が破産し、家庭がメチャメチャになったことによる」とされている。

「母親が(この宗教団体の)信者で、多額の寄付をして破産したので、絶対に成敗しないといけないと思っていた」(7月10日:読売新聞オンラインより引用)

恨みをはらすための「成敗」の対象は、「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」総裁だったが、総裁には手が届かなかった。

そこで彼は「成敗」の対象を安倍元首相に変更した。
変更の理由は、「安倍元首相は、旧統一教会と密接なつながりがあるから」というようなことだった。

これは彼の推測に過ぎない。
仮に、安倍元首相が「旧統一教会」と密接なつながりがあったとしても。

それでも、安倍元首相は、山上容疑者の「恨み」の対象として彼自身が想定している《悪の根源》にはなり得ない。


どう考えてみても「成敗」の対象とはなり得ない安倍元首相を、なぜ彼は、銃撃という方法で殺害してしまったのか?

「成敗」は、上記の読売新聞オンラインの記事で見つけた言葉だが、山上容疑者はなぜこんな古めかしい言葉をつかったのだろう。

「成敗」とは、処罰するとか、こらしめるとか、裁くとかのイメージを含んでいる言葉だ。
「悪人をこらしめる」という意があるとされている。

山上容疑者が「恨み」をはらすためには、安倍元首相が「悪人」でなければならない。
「成敗」というコトバにおされて、「安倍元首相=悪人」という観念が、育っていたのかもしれない。
銃を自作した山上容疑者は、自身を「裁きの執行人」として自作してしまったのだろうか?

銃を作り上げている間に、彼の「恨み」「魔物」と化し、彼自身に乗り移ってしまったのか?
などという奇譚(ストーリー)が思い浮かんでしまうほどに、この「?」は謎である。

山上容疑者ぐらいの執念の持主なら「安倍元首相と旧統一教会とのつながり」を調べ上げて、「恨み」の内容を論理化しそうなものだが。
そんな知的な活動はやっていないようである。

彼の執念の対象は、もっぱら銃製作に向けられている。

手製の「パイプ銃」の殺傷性能を、執拗に追求する。
殺傷計画を念入りにたてる。

銃の試し打ちを重ね、火薬量を研究する。
試作品としての手製銃も何丁か作っていたという。
安倍元首相の遊説活動をこまかく調べ上げ、殺害現場にも一時間以上前に着いていたとのこと。

そんな山上容疑者の行動を考えてみると、これは「旧統一教会への恨みをはらすための銃撃」ではなくて、「手製銃による銃撃のため銃撃」なのではないのだろうかと思えてくる。

私の思いつきに過ぎないかもしれないが。

もし、私の思いつき通りであるなら、山上容疑者は自身の「銃撃のための銃撃志向」に気づいているのだろうか?
自身のマニアックな「殺人志向」に気づいているのだろうか?

気づいていないとすれば、やはり「魔物」にとりつかれていると思わざるを得ない。

アメリカでは、CNNニュースが伝えるところによれば、先月(7月)に、11件もの銃撃(銃乱射)事件が起きているとのこと。
今年の5月22日に、アメリカのテキサス州で起きた「ロブ小学校銃乱射事件」が記憶に生々しいというのに・・・・

日本でも最近は、去年の12月に大阪の「北新地ビル放火殺人事件」や、2019年7月の「京都アニメーション放火殺人事件」など、凄惨な無差別殺人が起きている。
無差別殺人は「殺人のための殺人」である。

「旧統一教会への恨み」から「安倍元首相殺害」では、どう考えても私にはわからない。

「何かへの恨み」から「おもいつくままの成敗対象者」を選ぶ。
その「成敗対象者」にねらいを定めて、殺害する。
安倍元首相を《悪の根源》とは限定できないので、その選定は、「かなり無差別的」である。

そういう「かなり無差別殺人に近い殺人」なら、増加傾向にある。

山上容疑者は「旧統一教会とのつながり云々」よりも、山上容疑者が作った「パイプ銃」へ供える「人身御供」として安倍元首相を選んだのではあるまいか。

安倍元首相なら、「旧統一教会」との関連づけが、イメージ的に可能である。
しかも、社会的な反響が大きい。
彼は、そういうことを望む「魔物」にとりつかれたのだろう。

もちろん、「魔物」とは「旧統一教会」が言っている「サタン」のことでない。
「旧統一教会」によって創作された架空の「サタン」に挑んだつもりの山上容疑者は、いつのまにか、「実在」の「デーモン」に取り込まれてしまったのか。


この事件は、いろいろな政治家の方がおっしゃっているような「民主主義に対する挑戦」ではない。

おそらく政治家の先生方には解明できないであろう、「謎めいた何か」である。

「成敗」
という「観念」と、「銃」という「武器」にとりついた「何か」。

そういう何かを「安倍元首相銃撃事件」に感じたしだいである。

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