「苦しくも降り来る雨か神が崎狭野のわたりに家もあらくに」と、藤原定家の本歌取りについて
雨 |
くるしくも ふりくるあめか みわがさき さぬのわたりに いへもあらくに
万葉集第三巻・二百六十五番歌。
長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌。
他に、以下の表記の作者名もある。
「長奥麻呂(ながのおきまろ)」
「長意吉麻呂(ながのおきまろ)」
「旅先で雨に降られた切なさを何の技巧もなく訴える(坂口由美子氏)」という評価が一般的なようである。
「心が順直に表わされ、無理なく受納れられるので、古来万葉の秀歌として評価されたし、」と斎藤茂吉先生も述べておられる。
私は、短歌そのものが「技巧」であると思っているのだが。
こんなトーシロな考えは、専門家のご意見には及びもつかない。
だが、トーシロでも、読者としての感想は、湧いてくる。
その泡のような言葉で、この記事を書いている。
この万葉短歌もまた、前回の「玉藻かる」の記事のように、「場所」の推定についての意見が多い。
「神が崎(三輪崎)」はどこか。
「狭野(佐野)のわたり(渡り)」はここか。
と言うような論議。
私は、この歌に関しては、地名はあんまり気にならない。
「神が崎(三輪崎)」は地域(エリア)。
「狭野(佐野)のわたり(渡り)」は特定の場所(スポット)。
というイメージを持っている。
「神が崎狭野のわたり」という特定の場所ではない。
そう思うと、この歌に切なげな動き(移動)を、感じるのである。
こころの動きと重い足取りと。
たどり着いても、落胆。
雨降りの最中に「神が崎(三輪崎)」に入った。
しばらく歩いて「狭野(佐野)のわたり(渡り)」にたどり着いたが、すっかり濡れてしまった。
ここには、衣服を乾かす家もないので、寒くてしょうがない。
風邪をひいたらどうしよう。
肺炎になったら死ぬかもしれない。
とイメージしたら、「苦しくも」という初句が重くなった。
「苦しくも」は、つらくて我慢できない、という意であると私は感じている。
なので、斎藤茂吉先生は「心が順直に表わされ」とおっしゃったのだろう。
私も、そのへんが気に入っている歌である。
この歌は、いろいろな歌人の「本歌取り」の元歌(本歌)となっているらしい。
駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ
(こまとめて そでうちはらう かげもなし さののわたりの ゆきのゆうぐれ)
上記は、「苦しくも」の歌を「本歌」として、藤原定家(ふじわらのていか)が詠んだとされている歌である。
「本歌取り」の例として、よく挙げられる歌とのこと。
「有名な古歌のことばや内容などをそのまま用いることで、古歌の世界を自作の歌の背景に取り入れ、二重映しのイメージを作り上げる技法。中世の歌人藤原定家が理論付け、『新古今集』で最も盛んに行われた」と坂口由美子氏は、「本歌取り」について明解に解説しておられる。
「苦しくも」は、動き(移動)の歌。
「駒とめて」は静止の歌。
と、私は感じている。
馬を止めて、衣服に付いた雪を払おうと物陰を探した。
でも、雪除けになる場所はなかった。
「佐野の渡り」では、雪が降り止まず。
しかも日が暮れかかっている。
そんなしんどい状況ではあるが、夕暮の雪景色は趣があってようございます。
と感じ入って、景色を眺めているような歌である。
「苦しくも」の歌にある衣服を濡らす雨。
それを、衣服に付着する雪に替えて、風流を呼び込んだのが「駒とめて」の歌であると思う。
「駒とめて袖うち払ふかげもなし」の、流れるような言葉の調べが美しい。
藤原定家は、「つらさ」のレベルを下げて「美しさ」のレベルを上げたのだろう。
じゅくじゅく濡れている、やぼったい生の実感。
それよりも風流重視。
リアルよりも美の形成へ。
藤原定家の、この歌における姿勢であると思われる。
斎藤茂吉先生は、「定家の空想的模倣歌」などとおっしゃっている。
「唯美」的な藤原定家を、軽く一蹴したのだ。
◆参考図書
斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」岩波新書
坂口由美子「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 万葉集」角川ソフィア文庫