雑談散歩

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朝顔や夜は明けきりし空の色

アサガオ。

芭蕉庵での六吟歌仙興行

京都で仙洞御所与力(せんとうごしょよりき)の職に就いていた中村史邦(なかむらふみくに)が職を辞して、江戸に移住したのは元禄五年の秋頃であると「芭蕉年譜大成(今榮藏著)」にある。

仙洞御所とは、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇の御所であるとのこと(Wikipedia)。

江戸に移住した翌年の七月、芭蕉庵での六吟歌仙興行に参加した史邦がその発句を担当している。

朝顔や夜は明けきりし空の色
中村史邦

「明けきりし」の「し」は、「夜」が明けきったことを強調する副助詞の「し」と思われる。
その「夜」と「朝顔」を対比させている。

どんな夜だったのだろう。
さわやかな朝顔のイメージに対して、重苦しくて眠れない夜が思い浮かぶ。

元禄五年五月七日に、芭蕉は京都の向井去来(むかいきょらい)宛て書簡を執筆している。
この書簡については、「廣沢やひとり時雨るゝ沼太良」の記事で、ちょっと書いた。

書簡のなかで、史邦について「だめになって職を退くことになった場合はやむを得ないでしょう」というような意味のことを書いている。

史邦の東下

「不祥事?」が原因で職を退くかもしれないという史邦を案じている内容の文面だが、実際史邦は職を退くことになった。
この書簡がかわされた年の秋に、中村史邦は江戸に出てきている。

史邦は新天地での生活を切り開こうとしていたことだろう。

元禄六年七月の芭蕉庵での六吟歌仙興行の開催は、江戸の門人たちが史邦を歓迎する意味もあったのではと私は空想している。

「芭蕉年譜大成」によると、「歌仙」の連衆(れんじゅ)は、中村史邦、宝生沾圃(ほうしょうせんぽ)、芭蕉、魯可(ろか)、里圃(りほ)、河合乙州(かわいおとくに)の六人。

芭蕉の時代には、「発句」は招かれた客が詠み、「脇句」は客を招いた亭主が詠むのが一般的だったとのこと。

この「座」では、「脇句」は芭蕉ではなく、宝生沾圃が巻いている。
ひょっとしたら、沾圃が「史邦を歓迎する会」の言い出しっぺなのではあるまいか。

インターネット辞書「コトバンク」によると、宝生沾圃(服部沾圃)は能役者で俳人とある。
芭蕉の晩年の時期である元禄六年に、芭蕉の弟子になったとのこと。

私の空想

以下は私の空想である。

新参者の沾圃が、江戸蕉門では新参者の史邦を歓迎する「歌仙」を芭蕉庵で開催してはいかがかと芭蕉翁に相談する。
芭蕉は、「良いではありませんか」と即座に肯き、「私は『第三』をやるから、『脇』はそなたがおやんなさい」ということになった。

「発句」 朝顔や夜は明けきりし空の色 史邦
「脇句」 おのれおのれと蚓(みみず)鳴きやむ 沾圃

「歌仙」での「発句」は「挨拶句」である。
京都の仙洞御所での史邦の一件は、江戸の門人たちも薄々知っている。
勤めを辞めるに際しては、史邦は眠れぬ夜を幾夜も過ごした。

京を離れ江戸へ来て、皆さんのお仲間になれたおかげで、京にいた頃の重苦しい夜からすっかり解放されましたよ、という史邦の挨拶。

「脇」の句で沾圃は、史邦を追い落とした仙洞御所の同僚たちをミミズにたとえた。
うるさく騒いでいたミミズどもが、朝の光を浴びて、「おのれおのれ」とうめきながら、ようやく静かになった。
「おのれおのれ」が演劇人らしい。

第三 升落し待たぬに月は出でにけり 芭蕉

「升落し(ますおとし)」とは、ネズミを捕えるための仕掛けのこと。
芭蕉はミミズをネズミに転じている。

仕掛けにネズミがかかるのを待つ間もなく月が顔を出してきた。
ネズミなんか放っておいて、月を眺めよう。
芭蕉は、京で史邦を煩わせた有象無象を一蹴したのだ。

「明けきりし」の「し」に触発されて、とんだ空想をしてしまった。
「歌仙」は「座の文芸」故。


■参考文献
「芭蕉年譜大成」 今榮藏 著 角川書店
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