猿雖「荒れ荒れて末は海行く野分かな」への芭蕉の付句
「芭蕉年譜大成」より。 |
窪田猿雖
インターネットの「コトバンク」によると、窪田猿雖(くぼた えんすい)は伊賀上野の富商で、伊賀蕉門の最古参のひとりであるとのこと。芭蕉は、元禄七年(没年)の七月中旬に伊賀上野に帰省している。
五月にも帰省しているので、この年二度目の帰省である。
以後九月八日まで伊賀上野に滞在。
滞在中、猿雖亭(えんすいてい)で歌仙興行が行われている。
その席で、亭主の猿雖は下記の句を詠んだ。
荒れ荒れて末は海行く野分かな
窪田猿雖
この句に付けた芭蕉の句は「鶴の頭(かしら)を上ぐる粟の穂」。
猿雖の句は、あまり良い出来では無い。
というのが、トーシロ(俳句を作ったことが無い者)ではあるけれども、私の感想。
猿雖の句の感想
暴風(台風)が通り過ぎた後の、荒々しい風景の描写である。吹き荒れた野分が海のほうへ去ったので、ほっとしたという安堵が感じられるが、ただそれだけである。
私には、あまり面白味は感じられなかった。
もっとも、叙事に徹したハードボイルドタッチの句は、好みであるのだが・・・・
たとえば野沢凡兆の「時雨るるや黒木つむ屋の窓明り」。
初冬の寒々とした叙景のなかに、ほんのりとした温みがあって好きなのだ。
写生の句といっても叙情が感じられないわけではない。
暴風が行き過ぎた直後の寂寞とした情景にたいする感慨。
あるいは、野分そのものを巨大な獣のように描き、周囲を荒らしまわって海のほうへ去っていく動きと空間を読者に感じさせる。
そんな感想も持ったのだが・・・・
いずれにしても、単に荒涼としているという印象が強い。
ただそれだけという感は否めない。
描かれているのは、野分の当たり前の姿だ。
暴風があたりを荒らしまわって通り過ぎたという報告だけでは、文芸の面白みに欠ける。
粟の畑に鶴を隠したのだ。
頭頂部が赤いタンチョウヅルを想定したのではあるまいか。
そのほうが、美しいタンチョウヅルの姿と野分の荒々しさの対比が際立つ。
芭蕉は、暴風の「重大」をさらりとかわして、粟という庶民性のなかに「軽妙」な美を示したのだと私は感じている。
私の憶測では、これが芭蕉が晩年に追求した「軽み」という文芸理論なのではあるまいか。
暴風のために伏してしまった粟畑の粟の穂の上で鶴の頭が動いて見える。
暴風をやり過ごそうと粟の畑に身を隠して、じっとしていた鶴が、暴風が過ぎて安心したのか粟穂をついばんでいる。
そんな光景が目に浮かぶ。
なごやかで、嵐の後の温もりを感じる付け句である。
鶴という風雅な鳥を、庶民的な粟畑の中へ潜らせた。
これが芭蕉のいう「軽み」ではないかと私は理解している。
鶴はやがて飛び去って行く。
「海よりは空でしょう、猿雖さん」という芭蕉の声は、私の空耳か。
私には、あまり面白味は感じられなかった。
もっとも、叙事に徹したハードボイルドタッチの句は、好みであるのだが・・・・
たとえば野沢凡兆の「時雨るるや黒木つむ屋の窓明り」。
初冬の寒々とした叙景のなかに、ほんのりとした温みがあって好きなのだ。
写生の句といっても叙情が感じられないわけではない。
暴風が行き過ぎた直後の寂寞とした情景にたいする感慨。
あるいは、野分そのものを巨大な獣のように描き、周囲を荒らしまわって海のほうへ去っていく動きと空間を読者に感じさせる。
そんな感想も持ったのだが・・・・
いずれにしても、単に荒涼としているという印象が強い。
ただそれだけという感は否めない。
描かれているのは、野分の当たり前の姿だ。
暴風があたりを荒らしまわって通り過ぎたという報告だけでは、文芸の面白みに欠ける。
「軽み」
そこで芭蕉は、その情景に温もりを添えた。粟の畑に鶴を隠したのだ。
頭頂部が赤いタンチョウヅルを想定したのではあるまいか。
そのほうが、美しいタンチョウヅルの姿と野分の荒々しさの対比が際立つ。
芭蕉は、暴風の「重大」をさらりとかわして、粟という庶民性のなかに「軽妙」な美を示したのだと私は感じている。
私の憶測では、これが芭蕉が晩年に追求した「軽み」という文芸理論なのではあるまいか。
暴風のために伏してしまった粟畑の粟の穂の上で鶴の頭が動いて見える。
暴風をやり過ごそうと粟の畑に身を隠して、じっとしていた鶴が、暴風が過ぎて安心したのか粟穂をついばんでいる。
そんな光景が目に浮かぶ。
なごやかで、嵐の後の温もりを感じる付け句である。
鶴という風雅な鳥を、庶民的な粟畑の中へ潜らせた。
これが芭蕉のいう「軽み」ではないかと私は理解している。
鶴はやがて飛び去って行く。
「海よりは空でしょう、猿雖さん」という芭蕉の声は、私の空耳か。
芭蕉年譜大成 今榮藏 著 角川書店