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吉田健一の短編小説「化けもの屋敷」を読んだ感想

河出文庫「奇妙な物語・怪談集」収録 吉田健一「化けもの屋敷」のページ。

化けもの屋敷ではない

「化けもの屋敷」とは、その屋敷(家)の異様さを表す言葉である。
「ものの怪」とか「化けもの」とか「幽霊」とか呼ばれている人間ではないものが住みついた家を指して言う場合が多い。

この小説に登場する「化けもの屋敷」は、前からその家に住んでいた人たちが、人間ではなくなってからも、ずうっと住み続けているという家のことであるらしい。

あるらしいと書いたのは、彼らが「人間以外の何か」なのか「人間」なのか。
それは、主人公の木山にとって断定し難いことだからである。

そんな人たちと一緒に暮らすことになった木山は、自分が購入した高台の家を、決して「化けもの屋敷」とは思っていない。

小説のタイトルは「化けもの屋敷」だが、小説の中では「化けもの屋敷」を否定しているという不思議な小説である。

特徴的な文章

この短編小説には「二重否定」を用いた表現が多く見かけられる。

しかも、一文がとても長く句点が少ないという文体。
たとえば、以下のような文。

併し声だけしか聞えなくて人間の恰好をしてゐなくてもそれを人間と見ることはないと言ひ切れなくてその何かは人間が口を利くのと同じ気持で言葉を発してゐるものと思はれる。
しっかり読んでいないと、内容が頭にスッと入ってこない。
どこか判然としないものがつきまとう文章が、短い小説にいくつか配置されている。

はっきりしたものとぼやけたものが混在している。
まるで文章自体が、物語の「その家」を表しているようである。

どちらが死者なのか?

もしかしたら木山のほうが、すでに亡くなった者なのではないか、とも思えてくる。
「その家」に住んでいる家族は、現実を生きている人たちなのでは。
しかし、ミステリーのような、そういうどんでん返しは、小説後半になっても姿を現さない。

ただ、木山がこの家に住むことを、「その家」は以前から知っていたようである。
小説の語り手は、そういうことを匂わせている。

小説を読み進めていくと、「化けもの屋敷」という題名が、だんだん薄れてしまう。
薄れて消えてしまった後に、はたしてどういう題名がこの小説にふさわしいのだろうと、読者が思案する。
そういうことがあるかもしれない。

小説に登場する「人間ではないものたち」を木山は「ばけもの」とは思っていない。
主人公の木山同様に、読者も「その家」に住みついている彼らに親しみを覚えるようになる。
「人間ではないものたち」が飼っている可愛い犬が登場するから、なおさら親しみを覚える。

空襲とその家

「その家」については、小説の冒頭に以下のようにある。
まだ空襲の焼け跡が目に付く時代、或いは寧ろそれがどこにでもあった頃に木山が兎に角住める場所を探してゐると小石川山伏町の高台に一軒の家が空き家になっているのが木山の前に突然現れたやうにあった。

この小説で面白いのは「その家」についての「主」という見方である。

その家が空襲で何故焼けなかったのか。
小説の語り手は、空襲と「その家」は違った運命の下にあったのだという木山の「詮索」を語っている。

それが空襲の最中である間はその方が主で焼けてゐるのでないものはそこにあるとも見えなかったのであっても火が消えて燻る燃え残りの木片の焼け野原がそこに出現した時に今度はその中でもとのままの形をしてゐるその家が主になった。
「主」とは何だろう。
支配的な出来事というような意味だろうか。

この難解な文章を私なりに解釈してみよう。

空襲が町を焼き尽くしたときは、空襲が「主」で、焼けなかった「その家」は見えない存在だった。
ところが、あたりを支配していた空襲が消えて、焼け野原が出現した時、空襲で燃える運命ではなかった「その家」が「主」となって、もとの土地の上に姿を現した。

戦後になって、焼失しなかった屋敷が支配的な風景になった。

「主」が入れ替わったとき、一軒の家が空き家になっているのが木山の前に突然現れたやうにあった」のである。

常にあるもの

さうして日々が流れて行って人がその日々とともにあってそのことを語る言葉を交わしながら見据ゑゐるもの、或いは見るまでもなく知悉してゐるものは何なのか。ラフォルグにあってはそれがヨーロッパ風の虚無だったとも考へられる。あるいは破滅だったのか。しかしそれが東洋風の無であっても少しも構はなくて破滅と取ってもそれが充実であっても我々の意識の向こうに常にあるものは揺ぎなくそこにある。
日常についての作者の思いが述べられている。
そう感じた。

長い年月の間に、文化の滅亡や人間の死があっても、永遠なもの、例えば自然などの人間の意識の向こうに常に存在するものは、常に存在し続ける。
私たちの日常と周囲の自然は、別の運命の下にあるのかもしれない。

それは私たちが「知ってゐることである筈であるよりは知ってゐると感じる必要がない程身に付けてゐること」なのだろう。

ミステリーとユーモアと人間関係

ひとり焼け野原に建っていた家は、木山が住むことによって家の記憶をよみがえらせた。
無人の家に人が住むようになると、家が息を吹き返すのだと木山は考える。

ある時期に、肉体を備えて暮らしていた人たちが、今もひっそりと「その家」で暮らしている。
木山が「その家」に馴染むと、「その人たち」も活気を帯びてくる。

木山と「その家」と「その人たち」の奇妙な関係。
無言の対話。

ミステリーとユーモアと、ほのぼのとした人間関係が、バランスよく描かれている。
作者の文化観も垣間見える。

吉田健一の「化けもの屋敷」は、そんな小説だった。

色文字部分:小説からの抜粋
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