内田百閒の短篇小説「とほぼえ」を読んだ感想
ちくま文庫「名短篇、さらにあり」収録の内田百閒著「とほぼえ」のページ。 |
内田百閒の「とほぼえ」は、一幕物の芝居のような小説だった。
一幕一場の演劇。
はたしてこの芝居は、恐怖劇なのか喜劇なのか。
舞台は夜の氷屋の店内。
裸電球が灯ってはいるものの、影が多くて店内は薄暗い。
はじめての家に呼ばれて少し飲み過ぎた男が、帰り道にある氷屋で冷たい氷水を飲もうと店に入ってくる。
明かりの陰になっている上がり框(かまち)で、店のおやじが男を迎える。
主な登場人物は、このふたりである。
小説の題名になっている犬の遠吠えが聞こえ始めると、影の薄いおかみさん風の女が店に入ってくる。
彼女は、店のおやじから買った焼酎を、持参したサイダー瓶に入れてもらって帰る。
女の亭主は少し前に死んでいる。
一人暮らしの女は酒を飲まない。
いったい誰に飲ませるために、いつも焼酎を買って帰るのだろう。
店のおやじは、そのことを考えないようにしている。
実際に舞台に登場する人間は、男と氷屋のおやじと女の三人だけ。
遠吠えの犬は、鳴き声だけの出演である。
あと、おやじの死んだおかみさんの、声にならない声が、芝居の終わりかけに奥のほうから聞こえてくる。
男と氷屋のおやじに共通しているのは、どちらも怖がりだということ。
男もおやじも、それぞれ、怖い体験話を持っている。
その怖い体験を、回想したり話題にしたりしているうちに、ふたりは段々怖くなる。
別々だった恐怖感が交差する瞬間が、芝居のクライマックスとなっている。
男とおやじ。
どちらも面白い存在である。
ふたりの会話と間(ま)には、漫才のような面白さがある。
特におやじは、興味深い存在感を放っている。
好奇心が旺盛で、疑り深い。
じっと男を観察している様子が、ユーモラスだがどこか不気味だ。
読者は、知らず知らずのうちに、氷屋のおやじの視線に誘導される。
おやじの疑いに追随しはじめる。
男が幽霊なのではないかと読者は思い始める。
この男は、幽霊であるという自覚がない幽霊なんじゃないか。
自分のことを根掘り葉掘り聞くおやじが、段々怖くなる幽霊の男。
そんな男が、振り返ったおやじの顔を見てびっくりして、急に外へ飛び出す。
気がついたら、男は墓地の道を歩いていた。
私の感想では、氷屋は幽霊の巣窟のようなもの。
氷屋の周囲を取り囲む鬼火。
氷屋のまわりで、瞬間移動しながら遠吠えをする怪しい犬。
そこへ迷い込んだ男が幽霊なら、この話はそんなに怖くはない。
じっと自分を観察する霊の世界に迷い込んだ人間の話だから怖いのだ。
幽霊にいろいろ訊かれるほど怖いことはない。
この男のほうを振り返ったおやじの顔は、死んだという店のおかみさんの顔をしていたのではなかろうか。
と私は想像している。
そんな風に、内田百閒の「とほぼえ」は、読者を奇怪な想像に誘い込む小説であると思う。