雑談散歩

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内田百閒の短篇小説「冥途」について

ランプ型カンテライラスト(作:ブログ運営者)。

 
「冥途」をインターネットの「コトバンク」で調べたら「〈冥土〉とも書く。仏教用語で、死者が赴く迷いの世界、あるいはそこへたどりつく道程を意味する。」とあった。

「冥途」とは、「あの世(冥土)」を仮定して、死者の霊魂が「あの世」へ向かう道のことであるらしい。

この短編小説に登場する「道」はふたつある。
土手の道と、最後に「私」が帰る畑の道。
そして畑の道と土手の道が交わる地点に、「小屋掛けの一ぜんめし屋」がある。

物語の最後は「それから土手を後にして、暗い畑の道へ帰って来た。」となっている。
いったい「私」はどこへ帰って来たのだろう?
ブログ運営者は、「私」は墓地に帰って来たと思っている。

この小説には「墓地」という言葉も「死」という言葉も登場しない。
だが、文脈を追ってみると、「私」は死者で、「一ぜんめし屋」で隣り合わせた人々は死者を悼む近親者であると感じた。

墓地は遺体を埋葬する場所のことで、冥土ではない。
死者が墓地から冥土に赴くとしたら、墓地も「あの世」への途上である「冥途」ということになる。

「私」が、近親者と無言で交流した「いちぜんめし屋」もまた、途上の「冥途」なのだろう。

死者にとっての「冥途」であるから、生者はそこを「冥途」とは思わない。
生者にとっては、墓参りの帰り道にある、ちょうどよい休憩所ぐらいの場所である。

その「一ぜんめし屋」で、「私」は自身の父親を見かけ、声を聞き、涙を流す。
「冥途」で、生前の感傷に浸る「私」と、「一ぜんめし屋」で息子の思い出話を語る父親が隣り合わせている。
生者には死者が見えない。

「私」と、隣りの席の人々は、羽根の撚れた蜂を見かける。
飛べない蜂が障子の紙をかさかさと上っていく。
もはや巣に戻れない蜂は、「私」の目には「冥途」をさまよっている死者のように見えたことだろう。
まだ動いている蜂を見て、父親は、息子の思い出話を近親者の一行に語って聞かせる。

熊ん蜂をガラス筒に閉じ込めて、紙で蓋をしたことがあった。
その蜂が筒の中を上がったり下がったりして唸る度に、紙の蓋がオルガンのように鳴った。子どもがそれを見て、くれくれと父親にせがんだ。
強情な子どもで、言い出したら聞かない。
父親は、そんな息子に腹を立てて、ガラスの筒を庭石に叩きつけた。

隣の席で聞いていた「私」は、そのシーンを思い出して「お父様」と泣きながら呼んだ。
だが、その声は生者の一行には届かない。

この思い出話は、慈悲心の無い、癇癪もちで大人げない父親像を表しているのではないかと思われる。
そういう父親の性格も原因してか、気弱な「私」は自殺してしまったとブログ運営者は感じている。
もちろん「自殺」という言葉も、この小説には登場しない。
ただ以下の文から推察したまでである。

「まあ仕方がない。あんなになるのも、こちらの所為(せい)だ」
 その声を聞いてから、また暫くぼんやりしていた。すると私は、俄(にわか)にほろりとして来て、涙が流れた。何という事もなく、ただ、今の自分が悲しくて堪らない。けれども私はつい思い出せそうな気がしながら、その悲しみの源を忘れている。

「冥途」では、「冥途」に至った悲しみの源を忘れてしまうらしい。
ただ悲しみの感情だけで、生きて来た世界とつながっている。

「そろそろまた行こうか」と父親が連れたちに声をかける。
物語の最後に、「私」の父親一行は土手を通って、帰っていく。
その姿が「私」にはぼんやりとしか見えない。
「私」には、生者の世界が幻想のようにしか見えない。

「私」にとって土手は「高い、大きな、暗い土手が、何処から何処へ行くのか解らない、静かに、冷たく、夜の中を走っている」場所なのだ。
死者にとって土手は、幻のような存在であるらしい。
だから「私」は、父親を追って土手に上がることはできない。

暗い土手の腹に、「私」の姿が、「一ぜんめし屋」の明かりの影となって映っているだけである。
父親の後を追えない「私」は、自身の影を見て、長い間、泣いた。

小説「冥途」は、死者の感傷と哀愁の物語である。


色文字部分:小説からの抜粋
参考文献:ちくま文庫 内田百閒集成3 「冥途」内「冥途」

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