雑談散歩

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谷崎潤一郎の短篇小説「秘密」について

明治時代後期の浅草(国立国会図書館デジタルコレクション「浅草仲見世の雑踏」より)。

 
谷崎潤一郎の短篇小説「秘密」は、明治44年11月に中央公論に掲載されている。
当時の作家の年齢は25歳。

「秘密」の登場人物は、「惰力の為めに面白くもない懶惰な生活を、毎日々々繰り返して居るのが、堪えられなく」なった男。

主人公の男は、働きに出て家庭を維持している勤め人ではない。
高い教養を備え、それなりの資産を有していて、そういう人々が出入りするサロンの常連であるような。
一流の芸術と一流の料理を楽しむ人物である。

そういう生活を送っている男が、自身のマンネリ化した日常を解消しようと、交友関係を断って、誰にも知られない浅草近辺の寺の庫裡(くり)のひと間を借り受け、そこに移り住む。

この隠れ家を探し出せたのは、「奇妙な町」に執着する彼の好奇心によるものと思われる。

彼が考える「奇妙な町」とは「下町の雑踏する巷と巷の間に挟まりながら、極めて特殊の場合か、特殊の人でなければめったに通行しないような閑静な一郭」であるらしい。
この考えは、彼自身が「特殊」な人であることを暗に示している。

その隠れ家で、「現実をかけ離れた野蛮な荒唐な夢幻的な空気の中に、棲息することは出来ないであろうか」と考える。

そのために、「魔術だの、催眠術だの、探偵小説だの、化学だの、解剖学だのの奇怪な説話と挿絵に富んでいる書物を、さながら土用干の如く部屋中へ置き散らして、寝ころびながら、手あたり次第に繰りひろげては耽読」する。

この程度のことなら自宅でもできそうなものだが。
彼は、ありふれた日常に邪魔されることなく、自身のお気に入りの環境で、猟奇的な趣味に没頭できる特殊な孤独を求めたのである。

そういう環境を発見できたことが、彼には愉快でならない。
その愉快さを、男は以下のように述べている。

私はもう一度幼年時代の隠れん坊のような気持を経験して見たさに、わざと人の気の附かない下町の曖昧(あいまい)なところに身を隠したのであった。

一方では、「野蛮な荒唐な夢幻的な空気の中に、棲息(せいそく)」したいと思い、もう一方では 「幼年時代の隠れん坊のような気持を経験して」みたいという願望。
どうやら男は、「大人の悪戯志向」と「幼児の冒険心」をあわせもっている人物であるようだ。

当ブログ運営者は、この表裏一体のような二面性を、男の奇怪な行動を読み解くヒントのように感じている。
小説を読み進めていくと、男の新しい趣味を秘密にしたいという願望と、男の趣味に彩られた姿を衆目に晒して称賛を得たいという欲望が、男のなかで交錯していることがわかる。

それは、どういう趣味なのか。
もうちょっとこの小説を散策してみよう。

日中は「惨殺、麻酔、魔薬、妖女、宗教」について描かれた書物を読み漁り、夜は「着髭、ほくろ、痣と、いろいろに面体を換え」て、男は町を歩きまわった。

徘徊の途上で見つけた古着屋で「だらりと生々しく下って居る小紋縮緬の袷」が目につき、
「あの着物を着て、女の姿で往来を歩いて見たい」という思いに駆られて購入し、「ついでに友禅の長襦袢や、黒縮緬の羽織迄も」取りそろえてしまう。

顔に化粧を施し、女物の衣類を身に着けると「私の肉体は、凡べて普通の女の皮膚が味わうと同等の触感を与えられ、襟足から手頸まで白く塗って、銀杏返しの鬘の上にお高祖頭巾を冠り、思い切って往来の夜道へ」紛れ込む。

男であるという秘密を隠しおおせた「私」は、「私を同類と認めて訝あやしまない」女達の「私の優雅な顔の作りと、古風な衣裳の好みとを、羨ましそうに見ている」のに満足する。

男であるという「秘密」は、女に成りすますことによって、平凡な現実を夢のような不思議な色彩で塗り替えてくれる。
そう感じた男は、この「秘密」の効能に新鮮な感動を覚え、夜の仮装を続けた。

ここまで読み進めてきて、ブログ運営者は、多くの読者が感じるであろう疑問を抱いた。
この男の「秘密」とは、何なのだろう?

日常において「秘密」とは、自身の生活や生命や財産を守るために画策するものである。
スパイが「秘密」を隠すのは、自身の生命と職務を守るため。
殺人者が殺人の「秘密」を隠すのは、自身を縛る法から逃れるため。
浮気者が浮気の「秘密」を隠すのは、自身の平穏を維持するため。
などなど。

ところが、この小説に登場する男の「秘密」とは、フリをすることなのだ。
男なのに女のフリをする。
殺人者や強盗じゃないのに、「匕首だの麻酔薬だのを、帯の間へ挿んで」外出し、犯罪者のフリをする。

この男の「秘密」とは、仮装のように着脱可能である。
まるで意匠のように、色彩とか形とかを替えて吟味できる「秘密」。
自身を見る他人の目を欺くための「秘密」なのである。

しかし読者は、この小説の探偵小説的な匂いを嗅がされて、もっと違う「秘密」を想定するかもしれない。

男のお遊び的な「秘密」と、濃艶で廃頽的な結末を夢想する読者の「秘密」。
作者が書斎で、二つの「秘密」を弄んでいるとき、男は、ある女性と出会うことになる。

一週間ばかり過ぎた或る晩の事、私は図らずも不思議な因縁から、もッと奇怪なもッと物好きな、そうしてもッと神秘な事件の端緒に出会した。
男は、2~3年前に、上海への航海の途中で知り合い、汽船の中で暫く関係を結んでいたT女と、映画館の貴賓室でばったり出くわす。

男は、船の上で自身の素性をあかさずに、女を「弄んでほしいままに棄ててしまった」のだった。
今また再会してみれば「美貌を羨む嫉妬の情が、胸の中で次第々々に恋慕の情に変って行くのを覚え」て、男は、T女と密会を重ねるようになる。

密会の方法は、お互いに素性をあかさずに、男が目隠しをして女の差し向けた人力車に乗り、女が住んでいる家まで通うというものだった。
お互いが「秘密」にしていることを、決して探らないというのが密会の条件なのである。

ファンタジーのなかでの男と女の約束事は、多くの場合、男によって破られる。
女に「見てはいけない」と言われても、男は女の「秘密」を見てしまう。
「鶴の恩返し」や、黄泉の国でのイザナキノミコトや、ひょっとしたら浦島太郎の物語もその例であるかもしれない。
女は男に禁止を与え、男がそれを破り、男と女は離別する。

男の「秘密」の仮装は、「大人の悪戯志向」として、再会した女との密会に至った。
と同時に男は、「幼児の冒険心」によって、女の「秘密」を覗いてしまう。
男の表裏一体の二面性が動き出したのである。

小説の終盤で、男は探偵のように女の家を探し当てる。
仮装とは他人の目を欺く行為であると同時に、仮装の陰から相手の欲望を犬のように嗅ぎ回ることであるのかもしれない。
男は、仮装で培った眼力で、女の「秘密」を暴いたのである。

「抑え難い好奇心に駆られ」て女の家を見つけた男は、二階の欄干から死人のような顔をして自分を見下ろしている女に気がつく。
思わず嘲るような瞳を挙げて、二階を仰ぎ視ると、寧ろ空惚(そらとぼ)けて別人を装うものの如く、女はにこりともせずに私の姿を眺めて居たが、別人を装うても訝(あや)しまれぬくらい、その容貌は夜の感じと異って居た。たッた一度、男の乞いを許して、眼かくしの布を弛(ゆる)めたばかりに、秘密を発(あば)かれた悔恨、失意の情が見る見る色に表われて、やがて静かに障子の蔭へ隠れて了った。
こうして男は、女と別れ、寺の庫裡を引き払って、手ぬるい「秘密」とも別れ、別の地へ移転する。
ここで作者は、移転する地をなぜ「田端」としたのか。
「もッと色彩の濃い、血だらけな歓楽」を「田端」の地で、求めることができるのだろうか。

最後の最後に、唐突に移転の地を「田端」と名指ししたのはなぜなのか。
邪気と無邪気を抱え込んだ男は、新たな謎を残して、「秘密」の幕を閉じたのである。


色文字部分:小説からの抜粋
参考文献:青空文庫 えあ草紙 谷崎潤一郎 「秘密」
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