吉幾三の海の歌を聴いていたら小林一茶の海の句が思い浮かんだ
小林一茶の肖像(村松春甫画)- 一茶記念館(長野県信濃町) 著作者Yoshi Canopus CC 表示-継承 4.0 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kobayashi_Issa-Portrait.jpgによる |
哀愁感漂う「雪国」は、年末のこの時期に聴くと、胸にジンと来るものがある。
そんな気分は、青森を離れて都会で暮らしている方にとってはなおさらだろう。
年の瀬に、生まれ故郷に対する、寂しくもの悲しい思いがじんわりと湧いてくる。
当ブログ運営者も、都会で暮らしていた頃、吉幾三の「雪国」にジンときたクチである。
聴くたびに「雪国」は名曲であるとつくづく思う。
歌詞もそうだが、曲調と吉幾三の歌いぶりに共感を覚えるのではないかと感じている。
そう思うのは、昭和の時代に生まれた田舎者の、当ブログ運営者だけだろうか。
「海峡」も好きな歌のひとつだ。
久しぶりに「海峡」を聴いていたら、歌詞のなかに繰り返しのフレーズが多いことに、いまさらのように気がついた。
たとえば一番目の歌詞には、「あなたあなただけなの」、「横なぐり横なぐりの雨」、「も一度も一度やり直せるなら」、「このままこのまま引き返すけど」、「もう遅いもう遅い涙の海峡」と盛りだくさんだ。
二番三番の歌詞も、この調子で繰り返しが多い。
一般に反復は、言いたいことを強調したいときに用いられる。
この執拗な反復に、津軽海峡にたいする吉幾三の強い思い入れを感じた。
そして、「涙の海峡」と歌い上げることによって、津軽海峡の風景に同化していく吉幾三の姿が思い浮かぶ。
そんなことを考えていたら、郷愁の彼方から飛んできたインスピレーションのように、小林一茶のある句が思い浮かんだ。
亡き母や海見る度に見る度に
小林一茶の実の母親は一茶が3歳の時に亡くなっている。
8歳のときに、一茶の父は後添えをむかえたとされている。
彼女は、一茶にとっては継母にあたる。
継母との折り合いが悪くて、一茶は15歳の春に、長男なのに江戸へ奉公に出される。
家を追い出されるようにして江戸に出て来たのだから、生まれ故郷を追われたようなものである。
一茶の苦労と不運は、実母を失った時から始まったと言われている。
そんな一茶が、47歳の時に詠んだのが掲出句である。
「見る度」というフレーズが反復されている。
吉幾三の「海峡」にある反復は、「その時その場」の状態を強調するために用いられているが、一茶の場合はどうであろうか。
3歳の時に実母を亡くしてから47歳まで、海を見る度に、その度ごとに、亡き母のことを想ったという句である。
そしてこれからも、海を見る度ごとに母のことを想うであろうという句である。
自身が過ごしてきた人生を顧みながら詠った句のように思える。
長い時間が感じられる句である。
吉幾三の反復は、津軽海峡に限定されているから、津軽海峡のイメージが歌を聴く者の脳裏に色濃く映し出され、郷愁を呼んでいる。
小林一茶の「海」は、いろいろな海を対象としているように思われる。
生活のために俳諧行脚をしながら眺めた房総半島の、様々な土地で眺めた海もそうであろう。
江戸で眺めた海も、そうであるかもしれない。
北信濃の中農の長男として生まれながら、出生にそぐわない苦労にさいなまれる生活。
実母を亡くしてからずうっと、海を見る度に、母が居ない寂しさや辛さを感じ、郷愁を感じてきたという一茶の句なのである。
一茶の場合は、海を見る度に郷愁が反復されるということなのかもしれない。
では、なぜ海なのだろう。
吉幾三の「海峡」は、愛する男を失った(失恋した?)女の歌である。
海には、失ったものを思い起こさせる何かがあるのだろうか。
三好達治の「測量船」という詩集の中に「郷愁」という短い詩がある。
そのなかに「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」という言葉がある。
一茶も、海に母を感じ、郷愁を感じている。
海には郷愁を誘う何かがあるのだ。
それは、江戸時代の詩人にも、昭和初期の叙情詩人にも、津軽出身の大衆詩人にも、共通に感じられる何かなのだろう。
■参考文献
YouTube 「海峡」吉幾三
Wikipedia 小林一茶
青空文庫 「測量船」三好達治
一茶も、海に母を感じ、郷愁を感じている。
海には郷愁を誘う何かがあるのだ。
それは、江戸時代の詩人にも、昭和初期の叙情詩人にも、津軽出身の大衆詩人にも、共通に感じられる何かなのだろう。
■参考文献
YouTube 「海峡」吉幾三
Wikipedia 小林一茶
青空文庫 「測量船」三好達治