公園のサンシュユの赤い実を見ながらクマ出没について空想してみた
池の縁に立っているサンシュユ。 |
岡山県で暮らしている主婦のブログ「主婦の生活前進ブログ」の12月19日の記事に、今年はサンシュユの実が豊作だと書かれてあった。
そこで、よく行く公園のサンシュユの実はどうなっているだろうかと見に行ったら、こちらも去年よりは多そうである。
熟した赤い実が、木の根元にもいっぱい落ちていた。
枝についている実を摘まんで食べてみたら、甘酸っぱさが濃厚であった。
山では、クマの秋の主要な食べ物と言われているドングリが凶作であるとのこと。
そのため、多くのクマが、人家のある里近くを、食べ物を求めて歩き回っている。
今年ほどクマ出没による人身被害が多く発生している年は無いという。
過去最悪のペースで進んでいるクマによる人身被害。
最近では、市街地に近い山林周辺で寝起きし、食べ物を求めて街の中に出没する「アーバンベア」と呼ばれるクマが増えているという。
人間が生活のために山間部へ進出すればするほど、クマが市街地(アーバン)に進出してくる。
進出してくるというよりも、クマがもともと住んでいた場所が、人間によってアーバン化されているのだろう。
クマは人間にとって招かざる客なのだが、人間が招いている客でもあるのかもしれない。
無邪気な子熊のまん丸い眼。
子熊を守る母熊。
クマの精神性は人間に通ずるものがある。
それは、どんな動物にも言えることだが。
クマの精神性と人間の精神性は、どうして折り合いがつかないのだろう。
それは、お互いがお互いを襲う存在であるからだ。
縄文時代からクマは人間の狩猟の対象だった。
クマもまた、人間との遭遇を恐れるあまり、人と直面すれば人を襲う大型野生動物となった。
お互いに襲い合う存在だから、人間とクマとの共存は、人間にとっては解決できない永遠のテーマである。
お互いが領域を確定して棲み分けることが唯一可能な解決策のように思えるが、人間の精神性のひとつである「経済愛」がそれを妨げている。
人間の「経済愛」とクマの「母性愛」は永遠に共存できないかもしれない。
人間の「経済愛」の根底には「慾」がある。
クマにも「慾」があるだろうが、人間ほど果てしなくはない。
クマ帝国をつくってやろうなどとは考えていない。
日本の古代には、クマの等身大の「慾」を「清い」ものだと崇めていたフシがある。
崇めるのは、「清い」に関してはクマが人間よりも「強者」であるからとも考えられる。
古代においては、「清い」の強者であるクマを「清い」の弱者である人間が崇めた。
その後、人間の「経済愛」が、自然のなかに「経済帝国」を築き、クマの「母性愛」を駆逐した。
人間の「経済帝国」の野望は尽きることがないから、「清い」だけの強者であるクマは滅ぼされる。
「母性愛」だけでは、「経済愛」の強い人間に滅ぼされる。
などと、たわわに実った赤いサンシュユの実を眺めながら空想に浸った。
■自己流語解説
精神性:考えを深めてより良く生きようとする心(脳)の働き。
経済愛:人間の営みである経済活動を愛する心。
清い:より自然の理念に近い心の在り方。
■参考文献
<青森県史>の窓130 縄文時代のクマ 伊藤由美子