雑談散歩

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秋津野に朝ゐる雲の失せゆけば昨日も今日も亡き人念ほゆ

朝焼けの雲。

秋津野の朝焼けの雲が、だんだん消えていく。
紫がかった東雲が、細くたなびいて白くなり、薄雲になって青い空に染みていく。

亡くなった人を焼いた煙が、雲になるという。
秋津野の空の雲を見ていると、あの人を葬送した朝を思い出す。

星空を仰いで、荼毘の炎は蒼い空に赤く燃え上がった。
その夜が、しらじらと明けていくころ、激しかった炎が穏やかな煙となって天に昇っていく。
明け方に、風はなかった。
一筋の細い煙が、朝焼け雲に吸い込まれていくようだった。

あの人の魂も、野辺の煙のように、昇りはするが戻ることはないのだ。
行く当てもなく空を漂うのかしら。
私の嘆きも、あの煙とともに、しばし行く当てを失っていた。

戻ることのない魂はもう行ってしまったのに、毎朝雲を眺めてあの人を偲んでいる。
煙となって昇ったと思えば、空の雲が慕わしく思われる。

朝焼けの雲は、はかない。
昨日も今日も、消えていく雲を見る度に、過ぎた日々を思い出している。

秋津野に朝ゐる雲の失せゆけば昨日も今日も亡き人念ほゆ

あきつぬに あさゐるくもの うせゆけば きのふもけふも なきひとおもほゆ


作者不詳(万葉集・巻七・千四百六)
挽歌。

■参考文献
斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」 岩波新書

この文章は歌の意味や解釈を記したものではありません。ブログ管理人が、この歌から感じた、極めて個人的なイメージを書いただけのものです。

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