春日山おして照らせるこの月は妹が庭にも清けかりけり
春日山の月。 |
高円山に朝日が昇ると、春日山はその光を浴びて美しく輝く。
その姿は、神々が森を抱いているように見える。春日山を崇めれば、疲れた心が洗われる思いがする。
その春日山の麓に住まいを構えているものの、吾の屋敷は精彩に欠けている。
造りも安普請ではなく、屋敷も広いのに。
代々続いている家とは侘しいものだ。
名声を求め、世間体をつくろうための無駄が多いと感じている。
なんとも大仰な門構え。
庭の植え込みも自然のままではなく、程度を越えて意匠を凝らしているところが見苦しい。
屋敷が大きいがゆえに、使用人たちは目の届かないところで怠けてばかりだ。
屋敷にいるのがつまらないので、毎日でも妻のもとへ通いたいのだが、毎日ではためらわれる。
世間体を気にしているそんな自分が、つまらない人間に思えてしまう。
月の美しい晩は、思わず足が妻のもとへ向く。
春日山を照らしている月におされて、歩くほどにすがすがしい気分になってくる。
この月を眺めていれば、世間での評判や名声など些細な事に思えてくる。
妻の住まいに向かう道も、道沿いの屋並も清く美しく見える。
道の向こうには、庭へ続く柴折り戸が見える。
そっと柴折り戸を開けると、月に照らされた小さな庭が青く浮いている。
月を眺めていたのか、上げた蔀戸の向こうで妻が吾に微笑んでいる。
春日山おして照らせるこの月は妹が庭にも清けかりけり
かすがやま おしててらせる このつきは いもがにはにも さやけかりけり
作者不詳(万葉集・巻七・千七十四)
月を詠める。
■参考文献
斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」 岩波新書
斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」 岩波新書
この文章は歌の意味や解釈を記したものではありません。ブログ管理人が、この歌から感じた、極めて個人的なイメージを書いただけのものです。