雑談散歩

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秋田刈る仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞ置きにける

秋の田

稲刈りのための作業小屋が、ほぼ出来かけた頃に雨になった。

雨脚がだんだん激しくなって、田んぼの端にある森が白く煙って隠れてしまった。
軒部分の葺きが粗かったのか、稲藁が黒く染みて、ぽつりぽつりと雨露が垂れている。

まだ昼過ぎなのに、辺りは夕暮れのように暗い。
ちょっと早いが一休みしようと、小屋の奥で茣蓙をかぶって横になっていたら、眠ってしまったようだった。

夢のなかで馬の駆ける地鳴りが響いた。
小屋の外が騒がしい。
目を開けると、ひとりの男が吾を見下ろしている。

狩衣(かりぎぬ)の肩が濡れていて寒そうだ。
太刀の鞘を伝って落ちた滴を、土間の埃が丸く浮かせている。

「上様が雨宿りするゆえ、ちいとわるいが、外に出てくれぬか」

しぶしぶ身を起こした。
この土砂降りのなか、外へ出ろってかい。
そんな吾の思いが顔に出たのか、男は舌打ちして「早くせい!」と怒鳴った。

そのとき、「よいよい、主を追い出すものではない」と言いながら軒をくぐって小屋に入って来た方は、まぎれもなく貴人だった。

笠を外して、ちらりとのぞかせたお顔に気品があった。
吾は外へ飛び出そうとしたが、帝はそれを白い手で制した。

「狩りの途中で雨にうたれてな、宮殿まではちと遠いので世話になるぞ」

「へーい、かしこみましてございまする」

帝を奥の方へ通して、吾と警護の男は雨漏りのする軒の下に座った。
狭い小屋なので、帝が広い場所を占めれば、残りは大人ふたりでいっぱいだった。
小屋の外では、数人の男たちが雨に打たれている。

「こうして雨が上がるのを待っているのも寂しいものである、これ、歌でも作ってみよ」

帝が隣の男に命じた。

隣の男が、吾を肘で突っついて、とんでもないことを口走った。

「庵(いお)の主殿(あるじどの)が上様に歌を奏上いたしたいと申しておりますが」

「おおそうか、それも一興じゃ、おもしろい」

背中で帝が、楽しそうにのたまわれた。

「ささ、庵の主殿」

男は、意地悪そうな笑みを口の端に浮かべて吾を催促した。
吾は仕方なく、この有り様をそのまま歌に詠んだ。

「秋田刈る仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞ置きにける」

自分ひとりで居れば寒くはないのに、やんごとなきお方の闖入のために袖を濡らして寒い思いをしているのだ。

そんな思いが、吾にこの歌を作らせた。
が、意外にも高評価だった。

「うむ、なんのてらいもない。こころのこもった素直で良い歌である。皆も学ぶべきぞ」

思わず後ろを振り向こうとしたが、隣の男が吾の頭を地べたに押し付けた。
間近にご尊顔を拝してはならぬということらしい。
それとも、帝に褒められた吾が憎かったのか。


秋の天気は変わりやすい。
いつのまにか空が青く晴れ上がった。
田んぼが黄金色に輝いている。
紅葉の森からは、清々しい風が吹いてきた。

どこかで鳶(とび)の鳴声がすると思ったが、それは間の抜けた笙(しょう)の音だった。
帝を迎えに来た楽人(がくにん)たちが雅楽を奏しながら列を成している。

「世話になった。そちの歌の礼に褒美をとらすぞ。楽しみに待っておれ」

そう言い残して、貴(あて)な一行は去って行った。


それからひと月が経った。

稲を刈り上げて脱穀し精米してと、忙しい日々を送った。
そうして、たくさんの田租(でんそ)をお上に納めたが、大王(おおきみ)様からの褒美はいまだ届いていない。


秋田刈る仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞ置きにける

あきたかる かりおをつくり わがをれば ころもでさむく つゆぞおきにける


作者不詳(万葉集・巻十・二千百七十四)

この歌は、天智天皇の作とされている「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露に濡れつつ」の元歌であると言われている。

■参考文献
谷友子編「百人一首(全)」 角川ソフィア文庫

この文章は歌の意味や解釈を記したものではありません。ブログ管理人が、この歌から感じた、極めて個人的なイメージを書いただけのものです。

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