たまくしげ三諸戸山を行きしかば面白くしていにしへ念ほゆ
三輪山と箸墓古墳(シャシン4, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons) |
敵国に侵略されている友好国を救援せよという朝廷のお達しが下されて、海を渡った異国の地での戦に向かうことになったのは二十日ほど前の事であった。
集合地の難波津(なにわつ)には、おびただしい数の軍船が待っていた。
方々から集ってくる兵士も数知れず。
曇り空の下の異様な光景に驚いてか、干潟の浜千鳥の鳴声がひときわ甲高く聞こえた。
大勢の兵士達と軍船に乗り込み、熟田津(にきたつ)まではワイワイガヤガヤ。
秘かに持ち込んだ酒を分け合って飲んだり、博打に興じたり。
まだ物見遊山な気分だったが、熟田津を経て外洋に飛び出た時には、さすがに肌が粟立った。
月明りはあったものの、どこまでも続く黒い海に底知れぬ恐怖を覚えた。
航海中に、部隊の隊長から作戦らしきものの伝達は無かった。
吾の部隊の隊長は、蝦夷討伐で武勲をたてた男だが、はたして大国の軍隊相手ではどうだろうかと兵士達は不安がった。
なにしろ朝廷の将軍様には、異国との戦の経験が無いのだから。
水軍の指揮者も陸戦の指揮者もあてにはならない。
自分の身は自分で守らねばならぬというのが吾ら兵士の申し合わせだった。
荒い海を過ぎて陸地が見え始めたときは、ほっと安堵した。
しかし、それは束の間。
入り江の陰から敵の軍船が姿をあらわし、急速に近づいてくる。
船上の異人の兵士たちが、火矢をつがえている。
我々が弓を構えるころには、わが軍の半数の軍船が炎に巻かれていた。
火矢が飛んできて、胴体を貫かれる者、燃えて転げまわる者、海に転落しておぼれ死ぬ者、後を絶たず。
戦いは凄惨を極め、周囲の海が赤く血の色に染まった。
吾が乗っている船は、敵の火矢から逃れて上陸したが、異国の友軍はすでに敗れていた。
血刀を振りかざす異人の兵士の形相に圧倒され、敗戦を悟って逃げ回った。
木柵の陰に隠れたり、窪地に身を潜めたり。
敵の兵士に見つかると、闇雲に刀を振り回した。
そうしているうちに、誰かが吾の腕を引いて、浜の方へと連れ出した。
「逃げよう!退散じゃ退散じゃ!」
目の前で、倭の軍船が一艘、浜を離れようとして揺らいでいる。
甲板には、追って来る敵兵に矢を射る者、綱を下して味方の者を船に引き上げる者。
敵の矢に射られて、血の海に落ちる者。
今こうして思い出しても、身ぶるいがする。
恐怖の記憶は生々しく、生還が夢のようである。
二十日前のことが、昨日の事のようにも思えるし、はるか昔のことのようにも感じられる。
三諸戸山に祈りを捧げていると、重苦しくなった心が清らかな思いに覆われるような。
面白いものだ。
神に対して深い感謝の念を感じた。
三諸戸山が、吾の心の支えになっている。
この御山に神が降臨されたという古き時代に思いをはせるばかり。
やがて都は飛鳥から大津へ遷されるという。
都が遷っても、凄惨な戦の記憶が消えるわけではない。
吾はこの地を離れずに、三諸戸山に祈りを捧げ続けようと思う。
それが、あの戦で亡くなった多くの兵士たちを弔うことであると信じている。
死ぬこともなく逃げ帰った者は、その勤めを果たさねばならぬ。
たまくしげ三諸戸山を行きしかば面白くしていにしへ念ほゆ
たまくしげ みもろとやまを ゆきしかば おもしろくして いにしへおもほゆ
作者不詳(万葉集・巻七・一千二百四十)
■参考文献
斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」 岩波新書
この文章は歌の意味や解釈を記したものではありません。ブログ管理人が、この歌から感じた、極めて個人的なイメージを書いただけのものです。