雑談散歩

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家にして吾は恋ひむな印南野の浅茅が上に照りし月夜を

茅の一種であるススキ(ともまるさん, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)


二年前の秋に、妻と播磨へ向かって旅をしていたとき、明石川を越えてから道を間違えて広大な印南野の台地に迷い込んだことがあった。

見渡す限り一面の茅野原。
茅の穂が風に揺れて、海の波のようだった。
波の上を妻の市女笠と吾の烏帽子とが漂泊する。
茅野に沈みそうになりながら浮いている。

行けども行けども、何の変哲もない茅野原に、心細くなり脚が重くなった。

いつしか辺りは茜色に染まり、とうとう陽が暮れようとしていた。
吾は茅の上に寝転がって、はてどうしようかと思案していたが、妻は東の空を眺めて場違いな歓声を上げ始めた。
暗くなるにしたがって、東の空から月が上り始めたのだ。

夕焼けが消えた印南野に月の光が射して、美しい夜がやってきた。

陽の光が薄らいで闇を誘い、その闇を月の光が照らす。
月が天空に上がるほど、覆いかぶさっていた闇が消えていく。
そんな風景に、妻はすっかり感動して、歓声を上げたのだった。

なんとも無邪気であることか。
野宿になるかもしれないのに、子どものようにはしゃいでいる。
この人なら、きっと長生きすることだろう。
そう思っていたのに、今年の春に風邪をこじらせてあっけなく亡くなってしまった。

いまでは、あの印南野での彷徨い歩きが、妻とのいい思い出になった。
茅の寝床に茅の布団。
天空に輝く月。
妻は、眠りにつくまで楽しげだった。

家にして吾は恋ひむな印南野の浅茅が上に照りし月夜を
いへにして われはこひむな いなみぬの あさぢがうへに てりしつくよを

作者不詳(万葉集・巻七・一千一百七十九)

■参考文献
斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」 岩波新書

この文章は歌の意味や解釈を記したものではありません。ブログ管理人が、この歌から感じた、極めて個人的なイメージを書いただけのものです。

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